上を見ることも下を見ることもできない。

 ただ目の前の石段だけを見る。

 お祭りで島の若い衆が威勢良く駆け上がっていた姿が幻のように思えた。

 臆病な僕は最初から階段に手をついて一段ずつ登っていくのがやっとだった。

 壁にへばりついたヤモリみたいな格好だったけど、なりふり構ってなどいられなかった。

 さっきまでの激しい感情なんか空の彼方へ吹き飛んでいた。

「うわっ」

 すり減って窪んだ縁に足を滑らせて思わず石段にしがみつく。

 危うく靴が脱げそうになるのをなんとかつま先でこらえる。

「大丈夫?」と、下から声が聞こえた。

 うん。

 うなずいたつもりでも声は出なかった。

 子犬のように背中が丸まってしまう。

 本当は全然大丈夫ではなかったし、今すぐにでも戻りたかった。

 だけど、美緒に弱みを見せるわけにはいかない。

 本当の僕を知られてはいけないのだ。

 僕は気を取り直してまた一歩一歩石段を登り始めた。

 でも、僕はそこで気がつくべきだった。

 ちゃんと見ているべきだったのだ。

 知っていたはずなのに。

 美緒は強がりで、本当は弱気な自分を見せたがらない女の子だということを。

 美緒はやっぱり美緒だったのに。

 僕が目を離したのがいけなかったのだ。

 気がつくとすぐ下についてきているはずの美緒の気配がなくなっていた。

 ……あれ?

 どうした?

 とっさに振り向こうにも、下を見るのが怖くて体が動かない。

 かろうじて顔を横に向けると、広い青空のはるか下に廃校に残された木造校舎の三角屋根がちらりと見えた。

 ど、どうしよう……。

 み、美緒……。

 口がからからに渇いて歯がカスタネットのように鳴るばかりで名前を呼ぶこともできない。

 と、その時だった。

「そうたぁ」

 泣き声が聞こえた。

 美緒……。

 僕はおそるおそる石段をなぞるようにしながら下の方へ視線を移していった。

「おいてかないでよ」

 さっき僕が足を滑らせたあたりで美緒が泣いていた。

 でも、僕も動けなかった。

 僕だって泣きたかった。

 泣けば助かるなら、いくらでも泣きたかった。

「い、今、そっちに行くから動かないで待ってて」

「そうたぁ、助けて」

 彼女はギュッと目をつむって石段にしがみついていた。

 怖くて目を開けられないらしい。

 無理に目を開けてめまいで落ちたりしたら大変だ。

 早く行ってあげなくちゃ。

「大丈夫。今行くからね。ほら、もうすぐそっちに行けるから」

 でも僕は足を一段下ろしただけだった。

 上がるのよりも、下る方が何倍も怖かった。

 下を見たら動けなくなる。

 動けないというよりも、体が勝手に震えてしまって手も足も滑り落ちそうになるのだ。

 でも、助けなきゃ。

 僕が行かなくちゃ。

 守るんだ。

 僕が美緒を守るんだ。