◇

 あの夜、僕と彼女の間にあった本当の出来事は二人だけの秘密だ。

 いびきをかいて寝ていた僕は背中にぬくもりを感じて目が覚めた。

 それは僕の知らない感触だった。

 暗い部屋の布団の中で僕は身動きが取れなかった。

 ――美緒。

 どうしたんだよ、美緒。

 どうしてジャージを着ていないんだ?

 背中に寄り添うむき出しの肌のぬくもりに僕は動揺していた。

「爽太」

 激しく窓に打ちつける雨の音にかき消されるようなささやきが耳をくすぐる。

 触れたい。

 見たい。

 抱きしめたい。

 本当の美緒を知りたい。

 振り向くだけでいい。

 彼女はすぐそばにいてくれる。

 いつだってそうだったじゃないか。

 美緒は僕のそばにいてくれたんだ。

 しっかりと抱きしめていればよかったんだ。

 離してはいけなかったんだ。

 布団の中で、ゆっくりと僕は寝返りを打った。

 見たことのない美緒がいた。

 僕は彼女の背中に手を回し、柔らかな体を抱きしめた。

 それは僕が知らなかった美緒だった。

 頬と頬が触れ合う。

 彼女のささやきが聞こえる。

「ずっとね、好きだったの」

 僕もだよ。

「ずっと、ずっとね、好きだったの」

 ああ、僕もだよ。

 腕に力を込める。

「好きだよ、美緒。好きだ」

 さざ波が重なり合い、大きなうねりとなって僕らの感情は高ぶっていった。

 突き動かされるように僕らはお互いを求め合っていた。

 気持ちが一つに重なったとき、彼女の頬を一筋の涙が流れ落ちた。

「守ってくれるって言ったよね」

 美緒が泣いていた。

「初めてじゃなくてごめんね」

 美緒はもう美緒ではなかったのだ。

 僕の腕の中で僕の知らない美緒が泣いていた。

 何もしてやれない無力さに打ちのめされて、僕も涙をこらえることができなかった。

 もう、あの頃へは戻れない。

 僕が飼っていたのは美緒を傷つける猛獣なんかではなかった。

 巨大な影に恐れおののき、雨に打たれてうなだれる子犬だったのだ。

 あの夜、僕らは同じ雨の音を聞きながら固く抱き合っていた。

 窓をたたく雨よりも激しく……。

 行き場のない悲しみをお互いにぶつけ合うことしかできなかった。

 そして、その翌日の放課後、美緒に内緒で島へ渡った僕は神社の石段を駆け上がり、半分だけの夕暮れ空に向かって飛んだのだ。

 ――大切な人の名を叫びながら。