4
目を開けていると、真っ暗闇に押し寄せられそうだった。
暫くすると、次第にぼんやりとしてきて、形あるものの影が浮き上がってきた。
隣に首を傾ければ、ジェナは俺の方に向いているように思えた。
暫くそのシルエットを見つめていた。
はっきりと目に映らない光景が、この先ジェナが見るものだと思うと余計に辛い。
これがずっと続くんだ。
視界が消えていくなんて──
当たり前に見えていたものが見えなくなるなんて──
考えただけでも恐ろしい。
ジェナはそれを背負って毎日を過ごしている。
精一杯見えるものをしっかりと見ようとしている。
俺は、見えていても、何も考えずに受け流してばかり。
与えられたものを当たり前だとばかりにとらえ過ぎて、感謝することすらなかった。
そんな事を考えていると、心の中の感情が吐息になって深く吐き出された。
「まだ起きてる?」
ジェナがそれに気づいて声を掛けた。
「うん」
「寝られないの?」
「ジェナも?」
「最後の夜だもんね。なんか寝られない」
「だったら、何か話して。まだ面白い人とかの話ある?」
「うーんと、面白いっていうんじゃないけど、気になる人の話でいい?」
「いいよ」
「以前、ハーレーダビッドソンに乗った厳ついおじさんに会ったの。髭も生えて、サングラスして、見るからに怖い人に見えた」
「まさか、絡まれたの?」
「うん」
「えっ!?」
「停めてあったモーターサイクルが、なんかかっこよくてじろじろ見てたら、そのおじさんが後ろから現れてびっくりしちゃって、逃げようとしたの。そしたら『ちょっと待て』って追いかけてきた」
「それでどうしたの」
「そしたらきれいな女の人が写ってる写真を見せられた。『娘』だって言ってた。写真の女の人、とても美人でモデルみたいだった。『きれいですね』って言ったら、おじさん喜んだけど、その後、真顔になって、車にはねられて死んだって言った」
「えっ」
「その跳ねた奴がドラッグやってた奴だった。それで、おじさん、モーターサイクルで色んな所を走りながら、ドラッグがいかに危険か、娘さんの写真を見せてみんなに知らせてるんだって」
なんだか言葉にならない感情が湧いた。
「そのおじさん、サングラス取ったら、目がすごく優しそうだった。それから後に、その活動の事が地元のニュースで取り上げられていた」
「だけど、なんでそんな取っ付きにくい怖いスタイルで活動してるんだろう」
「その方が目立つし、おじさんの趣味なのかも。おじさんのモーターサイクルもかっこよかった。そのギャップがやっぱり印象に残った」
「アメリカらしい。今もそのおじさん、走ってるのかな」
「多分ね」
娘を失って、喪失感でいっぱいだっただろうし、何ができるかおじさんなりに考えた事だったのだろう。
その話を聞いた後、俺は考えた。
俺は残り少ない時間の中で、ジェナに何をしてやれるだろうかと。
ジェナがしたい事。
多分それは──
「ジェナ、俺と会った時、クジラ探してたよね」
「うん。私、本当にあの岬で見たことあるんだ」
「あそこはクジラが見える岬なのか?」
「オレゴンコーストは大体がそう。キャノンビーチから北、1,2マイルのところにエコラ・ステイト・パークがあるんだけど、その『エコラ』って名前はネィティブアメリカンのチーヌク語で『クジラ』っていう意味があるくらい、この辺に現れるみたい」
「エコラか。すごくエコな感じの名前だね」
ジェナはクスッと笑った。
「ほら、グーニーズで宝物を探しに行こうとした時、穴が開いたメダルを通してヘイスタック・ロックを見たシーンあったでしょ。あれがそのパークで撮影されたの」
「そうなんだ」
「映画だと、子供たちは気軽にそのパークに自転車で訪れてるけど、場所知ってたらアストリアからそこまで自転車では絶対無理だってわかるよね。しかもお金払わないといけない所だし」
ジェナも俺と同じような事を思っていた。
それが可笑しくて、俺は笑った。
またいつもの調子になって、空気が和らいだ。
「映画だと、色々と自由に作れるからな」
「だったら、クジラも簡単に登場させられるのかな」
「今の技術なら、CGとか加工で好きにできるだろうね」
「だけど、本物じゃないわ」
「でも見てる人には本物に見える」
「本物に見えるか……」
「あのさ、知ってる? 日本はクジラを食べるって」
あれだけ避けていた話題なのに、俺は自分から持ち出した。
「ええ、知ってるわ」
「ジェナはどう思う?」
「どう思うって、どう思って欲しい?」
「やはりジェナもアゲインストなのかなって思って」
「絶滅危機だったから、クジラを獲ることを日本は非難されてるのは知ってる。でも数は戻って来てるんでしょ」
「そうらしい。それでも理解は得られない」
「私ね、トラックに乗せられた沢山の鶏をみてしまったの。そのトラックの真後ろを走らなくっちゃならなくて、沢山の鶏と目が合っちゃった。この鶏たちは食べられちゃうんだって思うと胸が痛くて、助けてあげたいって思った。でも、その後で、スーパーでパックにされた鶏のお肉を見た時、何も思わなかったの。人間って勝手だなって思う。生き物の命を奪って食べる事は、何がよくて、何がいけないんだろうね」
「習慣や好みの問題?」
「その国で生まれたら、その国の習慣や伝統がある。他の国の人には到底理解できない事も。でも、理解できなくても、その前に何が違うんだろうってまずは物事の本質を見なくっちゃって思う。私は目が見えなくなるけど、その時今よりも物事を深く見てるような気がする」
「ジェナ……」
「それでその時、クジラの数がやっぱり減ってて、まだ日本が捕鯨を止めないっていったら、反対するし、りゅうのすけが食べてたら、食べないでって言う」
「ええ」
「だから、その時はりゅうのすけも反論すればいいんだよ。堂々とね。逃げちゃだめだよ。自分が弱くなれば、どんどん抑え込まれちゃうからね。私も弱気にならない。そこから這い上がるつもり。『ガンバレ』だよね」
俺が教えた日本語を覚えていた。
「そうだよね。『ガンバレ』だね」
「私たち、一緒に『ガンバレ』しようね」
なんかおかしく聞こえたけど、ジェナの言おうとしてることは心に強く響いた。
時計を見れば4時になろうとしていた。
ジェナとさよならする時間が迫ってきている。
最後にジェナのためにできること。
この旅行に相応しい最高のフィナーレ。
奇跡を信じてみたい。
「夜が明けたら、ケープ・ファルコンにもう一度クジラ探しに行こう。スケッチブック持って」
「スケッチブック持っていってどうするの?」
「もちろん絵を描くんだ。俺たちが見たもの全てを」
「わかった」
「それまで少し、休もう」
俺たちはそれから静かになった。
じっとしてたら、知らぬ間に寝てしまっていた。
気が付いたらすっかり朝になっていた。
目を開けていると、真っ暗闇に押し寄せられそうだった。
暫くすると、次第にぼんやりとしてきて、形あるものの影が浮き上がってきた。
隣に首を傾ければ、ジェナは俺の方に向いているように思えた。
暫くそのシルエットを見つめていた。
はっきりと目に映らない光景が、この先ジェナが見るものだと思うと余計に辛い。
これがずっと続くんだ。
視界が消えていくなんて──
当たり前に見えていたものが見えなくなるなんて──
考えただけでも恐ろしい。
ジェナはそれを背負って毎日を過ごしている。
精一杯見えるものをしっかりと見ようとしている。
俺は、見えていても、何も考えずに受け流してばかり。
与えられたものを当たり前だとばかりにとらえ過ぎて、感謝することすらなかった。
そんな事を考えていると、心の中の感情が吐息になって深く吐き出された。
「まだ起きてる?」
ジェナがそれに気づいて声を掛けた。
「うん」
「寝られないの?」
「ジェナも?」
「最後の夜だもんね。なんか寝られない」
「だったら、何か話して。まだ面白い人とかの話ある?」
「うーんと、面白いっていうんじゃないけど、気になる人の話でいい?」
「いいよ」
「以前、ハーレーダビッドソンに乗った厳ついおじさんに会ったの。髭も生えて、サングラスして、見るからに怖い人に見えた」
「まさか、絡まれたの?」
「うん」
「えっ!?」
「停めてあったモーターサイクルが、なんかかっこよくてじろじろ見てたら、そのおじさんが後ろから現れてびっくりしちゃって、逃げようとしたの。そしたら『ちょっと待て』って追いかけてきた」
「それでどうしたの」
「そしたらきれいな女の人が写ってる写真を見せられた。『娘』だって言ってた。写真の女の人、とても美人でモデルみたいだった。『きれいですね』って言ったら、おじさん喜んだけど、その後、真顔になって、車にはねられて死んだって言った」
「えっ」
「その跳ねた奴がドラッグやってた奴だった。それで、おじさん、モーターサイクルで色んな所を走りながら、ドラッグがいかに危険か、娘さんの写真を見せてみんなに知らせてるんだって」
なんだか言葉にならない感情が湧いた。
「そのおじさん、サングラス取ったら、目がすごく優しそうだった。それから後に、その活動の事が地元のニュースで取り上げられていた」
「だけど、なんでそんな取っ付きにくい怖いスタイルで活動してるんだろう」
「その方が目立つし、おじさんの趣味なのかも。おじさんのモーターサイクルもかっこよかった。そのギャップがやっぱり印象に残った」
「アメリカらしい。今もそのおじさん、走ってるのかな」
「多分ね」
娘を失って、喪失感でいっぱいだっただろうし、何ができるかおじさんなりに考えた事だったのだろう。
その話を聞いた後、俺は考えた。
俺は残り少ない時間の中で、ジェナに何をしてやれるだろうかと。
ジェナがしたい事。
多分それは──
「ジェナ、俺と会った時、クジラ探してたよね」
「うん。私、本当にあの岬で見たことあるんだ」
「あそこはクジラが見える岬なのか?」
「オレゴンコーストは大体がそう。キャノンビーチから北、1,2マイルのところにエコラ・ステイト・パークがあるんだけど、その『エコラ』って名前はネィティブアメリカンのチーヌク語で『クジラ』っていう意味があるくらい、この辺に現れるみたい」
「エコラか。すごくエコな感じの名前だね」
ジェナはクスッと笑った。
「ほら、グーニーズで宝物を探しに行こうとした時、穴が開いたメダルを通してヘイスタック・ロックを見たシーンあったでしょ。あれがそのパークで撮影されたの」
「そうなんだ」
「映画だと、子供たちは気軽にそのパークに自転車で訪れてるけど、場所知ってたらアストリアからそこまで自転車では絶対無理だってわかるよね。しかもお金払わないといけない所だし」
ジェナも俺と同じような事を思っていた。
それが可笑しくて、俺は笑った。
またいつもの調子になって、空気が和らいだ。
「映画だと、色々と自由に作れるからな」
「だったら、クジラも簡単に登場させられるのかな」
「今の技術なら、CGとか加工で好きにできるだろうね」
「だけど、本物じゃないわ」
「でも見てる人には本物に見える」
「本物に見えるか……」
「あのさ、知ってる? 日本はクジラを食べるって」
あれだけ避けていた話題なのに、俺は自分から持ち出した。
「ええ、知ってるわ」
「ジェナはどう思う?」
「どう思うって、どう思って欲しい?」
「やはりジェナもアゲインストなのかなって思って」
「絶滅危機だったから、クジラを獲ることを日本は非難されてるのは知ってる。でも数は戻って来てるんでしょ」
「そうらしい。それでも理解は得られない」
「私ね、トラックに乗せられた沢山の鶏をみてしまったの。そのトラックの真後ろを走らなくっちゃならなくて、沢山の鶏と目が合っちゃった。この鶏たちは食べられちゃうんだって思うと胸が痛くて、助けてあげたいって思った。でも、その後で、スーパーでパックにされた鶏のお肉を見た時、何も思わなかったの。人間って勝手だなって思う。生き物の命を奪って食べる事は、何がよくて、何がいけないんだろうね」
「習慣や好みの問題?」
「その国で生まれたら、その国の習慣や伝統がある。他の国の人には到底理解できない事も。でも、理解できなくても、その前に何が違うんだろうってまずは物事の本質を見なくっちゃって思う。私は目が見えなくなるけど、その時今よりも物事を深く見てるような気がする」
「ジェナ……」
「それでその時、クジラの数がやっぱり減ってて、まだ日本が捕鯨を止めないっていったら、反対するし、りゅうのすけが食べてたら、食べないでって言う」
「ええ」
「だから、その時はりゅうのすけも反論すればいいんだよ。堂々とね。逃げちゃだめだよ。自分が弱くなれば、どんどん抑え込まれちゃうからね。私も弱気にならない。そこから這い上がるつもり。『ガンバレ』だよね」
俺が教えた日本語を覚えていた。
「そうだよね。『ガンバレ』だね」
「私たち、一緒に『ガンバレ』しようね」
なんかおかしく聞こえたけど、ジェナの言おうとしてることは心に強く響いた。
時計を見れば4時になろうとしていた。
ジェナとさよならする時間が迫ってきている。
最後にジェナのためにできること。
この旅行に相応しい最高のフィナーレ。
奇跡を信じてみたい。
「夜が明けたら、ケープ・ファルコンにもう一度クジラ探しに行こう。スケッチブック持って」
「スケッチブック持っていってどうするの?」
「もちろん絵を描くんだ。俺たちが見たもの全てを」
「わかった」
「それまで少し、休もう」
俺たちはそれから静かになった。
じっとしてたら、知らぬ間に寝てしまっていた。
気が付いたらすっかり朝になっていた。