金龍である龍見家は土地を司る。
 そのため竜輝の仕事は各地から届く土地に関する問題を読み、それが人の手に余るものだと判断したら一族の者を向かわせ対処をさせることだ。
 神和ぎがいなかったこの一年は荒御霊を押さえつけ、そこから零れ落ちた神気が直接地に落とされるだけだった。
 そのため、色々なところに問題が起こっているらしく竜輝は日々忙しい。

 司るのが土地であるがために、その影響は他の四龍にも及ぶ。
 樹木を司る青龍や金属を司る白龍には特に直接影響を与えてしまっている様だ。
 そちらの方からの圧もかなりある様で、気疲れも多いと思われる。

「……竜輝様、少し休憩されては?」
 書類の一つに目を通し終えたタイミングを見計らって声を掛ける。
 いつも無理やりにでも休憩を取らせる砂羽が今日はおらず、竜輝は片手間に昼食を取ったっきり全く休んでいなかった。
「……いや」
 それなのに一言断りの言葉を口にしただけで、また次の書類に手を伸ばそうとする竜輝。
 梓はその手をとっさに掴んで止めた。

「っ!……招、止めないでくれ」
 一瞬ビクリと止まった竜輝だったが、淡緑の目に恨めし気な感情を乗せて見上げられる。
 だが梓も引き下がるわけにはいかない。
 梓自身彼に休憩を取ってほしいと思っているし、今はいない砂羽に一度は必ず休憩させるように言いつけられていた。
「せめてお茶を飲んで菓子を一つつまむくらいはしてください。すぐに飲めるよう(ぬる)めにしておりますから」
「……はぁ……少しだけだぞ?」
 諦めのため息を吐いた竜輝は置かれたお茶を手に取り一気に飲み干す。
 その様子を見ても喉が渇いていたのは明白だった。
 そのまま一つでも横に置かれた小皿のかりんとうをつまんでくれれば後は良かったのだが……。

「……竜輝様?」
 飲み干した湯飲みを置いた彼の手はかりんとうを通り越して書類の方へと向かってしまった。
「菓子もお一つ」
 小皿を勧め、食べるように促すが竜輝はちらりと視線をやっただけで手を伸ばしてはくれない。
「糖分も取りませんと、疲れが取れませんよ?」
 本当ならしっかり休んで欲しいのだが、無理なことは分かっている。
 だから僅かでも疲れが取れるよう甘いものも食べて欲しかった。

 だが、竜輝はそれでも食べる気がないのか書類から目を離してはくれない。
「竜輝様」
「はぁ……そんなに食べて欲しいのならお前が食べさせてくれ」
 半分投げやりな様子で言ってのける主人に梓は呆気にとられる。

 梓として対面していたときはとにかく優しかったが、男相手だとこんな我が儘も言うのかと驚いた。
 ただ、それで好感度が下がるかというとそうでもなく。意外な一面を見れたといった喜びのようなものを感じる。

 とはいえ、今はそんな喜びよりも竜輝に疲れを取ってもらう方が重要だ。
 食べさせろというのならば、そうして差し上げようではないかと梓は小皿に乗っている抹茶味のかりんとうを一つつまむ。
「……では、どうぞ」
 言う通りに食べさせようとする梓を見て少し驚いた様子の竜輝だったが、自分で言った手前もあるのだろう。素直に口を開けた。

 だが、そうなると今度は梓の方が緊張してしまう。
 つまんだかりんとうを彼の形の良い唇に運ばなくてはいけないのだ。
 待ち構えるように開けられた口からは舌も見えて、僅かに伏せられた長い睫毛が影を落とす。
 その様子に妖艶さすら感じ、どぎまぎしてしまう。
 今更ながら躊躇うが、竜輝をそのまま待たせるわけにもいかない。

 緊張が伝わってしまわないように恐る恐る口に運ぶと、ぱくりとかりんとうが食べられた。
「っ⁉」
 その際、僅かにだが梓の指が竜輝の唇に触れる。
 柔らかさに驚きサッと手を離す梓に、竜輝も少し驚いてしまったようだ。
 目が合い、それがまた恥ずかしい。
(っ! 駄目。招なら……男ならこれくらいで動揺したりしないはず)
 自分にそう言い聞かせるが、早まる鼓動は全く収まる気配がない。
 このままでは駄目だ。きっと今の自分は女の顔をしている。
(せめて表情を見られないようにしないと)
 そう思い竜輝から視線を逸らしたときだった。

「うっ……くぅっ……」
 竜輝の苦しむ声が聞こえ、逸らした視線をすぐに戻す。
 同時に、僅かだが地が揺れた。
「え? 地震?」
 立っていても分かるという程度。おそらく震度2くらいだろう。
 最近多い地震だが、いつもこれくらいですぐに収まる。
 地震は大したことはないと判断した梓は、竜輝の側に寄り彼の様子を確かめることを優先した。
 案の定地震はすぐに収まり、同じくして竜輝の苦しみも治まったようだった。
 ……ただ、彼の頬を覆う鱗が一つ増えていた。

「っ!」
(そんな! 荒御霊が鎮まっていない⁉ たまに触れる程度では駄目ということ?)
 絶望に似た気持ちで息を呑む。
 すると息を整えた竜輝が戸惑いの声を上げた。
「何故だ? 御霊が鎮まっていない……招、お前がいるのに……」
 疑惑の声と共に間近で顔を覗き込まれる。
 探るような眼差しが、何かに思い至ったように揺れた。

「まさか……梓?」
「っ!」
 言い当てられ、弾かれた様に竜輝から離れる。
 見上げてくる竜輝の目が大きく開かれ、確信を得られてしまったことを知る。
(しまった。すぐに否定するべきところだったんだ)
 後悔してももう気付かれてしまった。
 今更否定したところで確かめられては結果は同じ。
 もう、招の振りは出来ない。

「っ! 失礼します!」
 今はどう対応するのが正しいのか分からず、梓は竜輝の前から逃げ出した。
 自室に飛び込み、どうすればいいのかを考える。
 両親や宗次に連絡を取ろうと試みるも、すぐには返事がなく電話にも出ない。
「どうしよう……本当にどうすれば……」
 気ばかりが焦り考えがまとまらない梓は、そのまましばらく自室にこもっていた。