僕たちは葬儀が始まるまで、会場の端の方のパイプ椅子に座っていた。
喪主なのに、僕には何もすることがなかった。
業者の人が、全部やってくれるのだ。
僕の隣には、あおい君が座っている。
僕たちは何も話さないまま、業者がせっせと働く姿を見ていた。
しばらくして、不意にあおい君が言った。
「結婚で思い出したんですけど、「舞花」って名前は、結婚式のフラワーシャワーから来てるんですよね?」
「え?」
「舞花に名前の由来聞いたことがあって。
両親の結婚式の思い出からお父さんがつけたんだって」
「あ、ああ……」
それを伝えた日のことを、僕はよく覚えている。
翌日からの経過観察のための入院準備を手慣れた感じで終えた舞花が、歩美が作ったフォトブックを見ながら僕に尋ねたんだ。
初めて僕が、舞花の名前の由来を真剣に、丁寧に教えた日。
そしてその日は舞花の18回目の誕生日で、僕たち三人があの部屋で暮らす最後の日になったのだから。
舞花に伝えた名前の由来を思い出して、僕は少し恥ずかしくなった。
そんな僕をよそに、あおい君は話し続ける。
「舞花って、良い名前ですよね」
今はお世辞でも何でもいい。
ただ、そう言ってもらえるのは嬉しかった。
「僕、舞花のこと、しばらく桜井さんって呼んでた時期があったんです。
ほんとは、舞花って呼びたかったけど。
舞花の名前の由来聞いて、もっと舞花って呼びたかったなって。
もっと呼んであげたかったなって思ったんです」
そう話すあおい君の横顔には、柔らかさの中にじんわりと後悔が浮かんでいるように見えた。
「舞花は本当に、お父さんとお母さんに愛されていたんですね」
その言葉に、僕はこらえていた涙が鼻に向かって流れてくるのを、鼻をすすって止めた。
それを誤魔化すように、あおい君に話を振った。
「今さらだけど、あおい君のご両親は、どんな人なの?」
本当に今さらだけど、僕はあおい君の両親のことを知らない。
会ったこともなかった。
知っているのは、お父さんは単身赴任していて、お母さんは看護師だということ。
幼い頃の舞花が、教えてくれたことだ。
僕の質問に、あおい君は困ったような笑顔をこぼしてから答えた。
「そうですねえ……。
うーん……自分の親のことを話すって、恥ずかしいものですね。
何か今さらって感じで」
あおい君は耳元をポリポリと搔きながら、少しずつ言葉を紡いだ。
「両親は、僕のやるとこにあまり口出しをしません。
うちは、僕が小さい時から父親は単身赴任していて、母親も仕事でいつも忙しくてあまり家にもいなかったから、僕にはあまり構ってられなかっただけだと思うんですけど。
だから家族の思い出とか特別なものはないし、家族全員が集まれるのって、お盆と年末年始ぐらいで。
あとは、たまに父が都合がつくときに帰ってくるぐらいで。
だから、誕生日もだいたいいつも母親と二人きりだし。
と言っても、お祝いとか、そんな盛大にはしないんですけど」
「そうなんだ……。寂しくなかったの?」
僕は思わず聞いてはっとした。
そんなことを聞くのは、あおい君のご両親にも、あおい君にも悪いような気がした。
だけどあおい君は、僕のそんな問いかけにふふっと軽く笑って答えてくれた。
「物心ついたときにはそれが普通だったんで、もしかしたら寂しさはあったのかもしれないけど、覚えてないし、今はもうないです」
僕は保育園で見たあおい君の姿を思い出していた。
幼い彼は、あの時どう思っていたのだろう、と。
「ただ、一緒に過ごす時間は大切にしてくれました。
その時間を大切にすることも教えられました。
大切な人や好きな人と同じ時間を過ごせることが、当たり前なことじゃないってことも。
それは舞花に再会してから身をもって感じました。
だから、これまで何とも思わなかった家族との時間も大切にしようと思えたんです。
最近は、そういう時間を大切にしようとしている両親の想いが、僕への愛情だったんだなって、何となくですけどわかってきたというか。
家族で特別なことはしなかったけど、一緒にいられるその時間こそ、実は特別だったんですよね。
家族みんなでいられる時間が。
だから僕も、大切な人と過ごす時間は大切にしようって思えたんです」
照れ笑いを浮かべながら、あおい君は話し続ける。
その笑顔からにじみ出る、彼の家族愛。
人を思う優しさ。
誠実さ。
温かさ。
ゆっくりとあおい君の方に目をやると、あおい君の目と合った。
そこにはあの時と変わらない、澄んだビー玉のような瞳があった。
「舞花との時間を、ありがとうございました」
あおい君の言葉に、思わず目を見張った。
__この子は、良い子だ。
舞花の初恋相手があおい君でよかった。
舞花を好きになってくれた男の子があおい君でよかった。
そしてこんな子を産み育ててくれたあおい君の両親に、僕は感謝と尊敬の念しかなかった。
その思いを込めて言ったつもりだった。
「良いご両親だね」
心の底から湧いて出た思いを、僕はあおい君に伝えた。
だけどあおい君はそんな僕の言葉を優しく笑い飛ばす。
「いえ、別に。
どこにでもいる、普通の親ですよ」
……なんて。
__「普通の親」……か。