「あおい君、かっこいいからモテるでしょ」
「いや、そんなことないですよ」
僕がぼんやり昔のことを思いだしているうちに、歩美とあおい君の会話が弾みだす。
歩美からの誉め言葉を真面目な顔をして否定するあおい君の耳や頬は徐々に赤らんでいった。
確かにあおい君は顔だちが整っている。
だけど舞花イチオシの「青山君」とは似ても似つかない。
イケメンと言っても、あおい君は「青山君」には全然及ばないじゃないか。
僕が不満を貧乏ゆすりに置き換えていると、歩美とあおい君の会話に、舞花も参加する。
「あおい君ね、いつもあそこのバスケットコートで練習してるんだよ。昔から」
「あら、そうだったの。全然知らなかった。
えっと……二人は、いつから付き合ってるの?」
僕が気になっていたことを、ためらいながらも単刀直入に聞いてのける歩美の行動に僕はぎょっとした。
そして恐る恐る目の前の若い二人に視線を移した。
歩美の質問に、二人は初々しくはにかむような反応を見せた。
「付き合ってるというか……」
舞花が不安げな目を隣のあおい君の方に向ける。
何だか様子がおかしいのは明らかだった。
僕がその様子に怪訝な顔を露わにしている横で、歩美は身を乗り出して「うん、うん」とうなずきながら、まだ何か聞き出そうとしている。
口ごもっている舞花の隣から、「あのっ……」とあおい君が、背筋をすっと伸ばして改めて僕たち二人に視線を合わせた。
「すみません、僕がちゃんと言えてなくて……。
だから、正式にはまだ、付き合ってません。でも……」
あおい君はそこで言葉を切って、僕たちに向ける視線を強めた。
「僕は舞花のことが好きです。真剣です。結婚したいと思っています」
その言葉に、僕のまとっていた空気が凍り付く。
体中が固まって血液が上手く流せず、脳の辺りがひんやりとしてくる。
僕は無意識に鋭くした視線をあおい君の方に向けた。
「……結婚……?」
僕の口元からぽろりとこぼれ出るように、その単語が吐き出される。
僕にまっすぐと向けられたビー玉のような瞳に、不純物は一切含まれていなかった。
どこまでもまっすぐで透き通った瞳だった。
その澄んだ瞳に負けそうになるのを、僕は唸るような低い声でぐっと押し返した。
「結婚って、どういうつもりで言ってるんだ?」
僕の言葉に、幼い瞳が一瞬揺れる。
僕の方も、体の奥底から怒りに似たものがこみあげてきて、声がわなわなと震え始める。
__付き合うことだって、反対してやろうと思っていたのに……。
「結婚って……君はまだ中学生だろう。一体何年先の話をしているんだ?
それに……」
そこで僕は、口ごもった。
「君は、舞花のことをちゃんとわかっているのか?」
本当なら感情のままにぶつけたいところを、僕は場所と、相手がまだ幼い子供だということをわきまえてそれを何とか必死にこらえる。
だけどその自分のコントロールさえ、今は危うい状況だ。
もうあと一歩で、目の前の純粋な少年に殴りかかりそうになる。
それを抑えるのに必死だった。
「中学生ごときが、何言ってるんだ。……おままごとじゃないんだぞ」
頭を抱えた僕の口から、思わずふふっと笑いがこぼれた。
中学生が憧れるドラマのような恋愛ごっこに、笑えてくる。
そんな僕は、最低だろうか。
娘の初恋を素直に喜んでやることができないなんて、ただの物分かりの悪い父親だろうか。
「あの……」
「だめだ」
あおい君が何か言おうとするのを、僕はすかさず遮った。
何も言わせたくなかった。
何か言われたら、僕はきっと本気で殴り掛かるか、彼の口からこれから放たれるであろうまっすぐな言葉に負けてしまいそうな気がした。
どちらも、怖かった。
「会うのは、もうやめなさい」
それだけ言って僕は立ち上がり、席を離れようとした。
「どうして?」
舞花の震える声が、そんな僕を引き留める。
「どうしても、ダメだ。交通費は出さない。定期も買わない」
「あなたっ……」
「二人のために言ってるんだっ」
歩美に返す言葉が、思いのほか強く、厳しく、鋭くなった。
僕だって、こんなに激しく、大きな声を出したのは生まれて初めてだった。
その声の余韻が、ファミレス内にいつまでも浮遊する。
その返事のように、静寂と、周囲からの冷たい視線が突き刺さる。
ただの頑固おやじにしか見えないだろうが、もうそんなことはどうでもよかった。
僕が席から離れようとすると、「あのっ……」と、再び幼い声がはっきりと聞こえた。
無視してしまえばいいのに、僕は踏み出した足を思わず止めてしまった。
「あの……、僕はまだ、中学生です。
だけど、18になったら結婚できることぐらい知ってます。
18になったらすぐに結婚します。
僕より先に、舞花は18歳の誕生日を迎えてしまうけど……。
お願いします。これからも、舞花に会わせてください。
交通費は自分で出します。僕が会いに行きます。毎日行きます。
だから、お願いします」
あおい君の声も、ファミレス内に響き渡った。
高くてあどけない声で放たれた声は、その言葉を言うにはまだまだ頼りなかった。
中学生なのに、お辞儀の仕方がきれいだった。
しっかり腰から九十度に折り曲げて、まるで銀行員の営業みたいだ。
__今時の中学生は、何なんだろう。
その小さな背中を見て、僕はやっぱり不安になる。
こんな頼りない背中に、大きなものを背負えるのだろうか。
背負わせてもいいのだろうか。
「君は、それがどういう意味か分かっているのか?
自分の人生に、一生舞花の存在を背負っていくってことだぞ。
そんな覚悟、あるのか?」
僕の声は、震えていた。
それは、怒りなのか、悲しみなのか、嬉しさなのか、驚きなのか……。
僕にはわからない。
曲げた腰をすっと起き上がらせたあおい君は、透き通るビー玉のような目を僕にまっすぐ向けて、突き放そうとする僕にしがみつく。
「僕はまだ、舞花のことをちゃんとわかってないかもしれません。
だけど、これからどうしていけばいいかはわかっています。
それは、一日でも、一時間でも、一分でも一秒でも、舞花と一緒にいることです。
一緒にいたいんです。
それ以外、……舞花と一緒に過ごす時間以外、僕は何もいりません。
好きな人と一緒にいられることほど、人生で最高の贅沢はありませんから」
その言葉に、僕は息をのむ。
中学一年生が言える言葉だろうか。
大人をも圧倒するセリフを、真剣なまなざしで、あおい君は淀みなく僕に言い放った。
その言葉で僕は知った。
あおい君は、舞花のことをすべてわかっているんだ、と。
僕には二人の間に何があるのか、何があったのか、何もわからないのに。
二人にしかわからない、誰にも入り込めないものが、見えてしまったような気がした。
その幼い眼差しには、確かに覚悟が滲んでいた。
名前しか知らなかったあおい君の存在が、一気に、明確に、姿を現す。
その目を見て、僕はもうわかっていたんだ。
どうしたらいいのか。
「定期、買おうか」
僕の心の声を、歩美が横からすっと代弁してきた。
歩美の方に視線を向けると、とても切なげな視線を僕に送っていた。
その目はもう、僕に同意しか求めていなかった。
「あおい君の分も」
わかっているのに、体が思うように動かない。
まるで、自分の体じゃないみたいに。
「お父さん」
舞花の声に、体がようやくピクリと反応する。
「私も会いたい。あおい君に。毎日会いたい。
あおい君に会えるなら、私は明日も、元気に生きられる気がするから」
そんな力が、あおい君にはあるのだろうか。
舞花に明日を見せる力が。
舞花を明日に連れて行く力が。
そのビー玉のように透き通る瞳を、僕はもう一度見た。
その瞳に映る未来は、どこまで続いているのだろう。