「花嫁を探しに来る人ならざる者は、より強い力や権力を求める、野心に満ちた者たちなのです。彼らはここで、遊女たちと話をしたり夜を共にしたりして、魂の味見をすることで、自分と遊女の波長が合うかどうかを確認します」


魂の味見――。それは、〝口付け〟で行われることが多いと聞く。

自分が人ならざる者と唇を重ねることを想像した吉乃の顔は、あからさまに曇った。


「つまりですね。ここでは容姿が優れていることよりも、魂が美しいことの方が重要視されるわけです」

「魂が美しい?」

「ええ。美しく、清らかな魂を持つ女性を伴侶に迎えるほど、人ならざる者の力を高める。だから魂が穢れていたり、弱っている場合は価値がないと判断されてしまうのです。酷な話ではありますが、そうして最初に選り分けることで、花嫁探しをしやすくしているのですよ」


そう言った琥珀は、眉を八の字に下げて笑った。


「では……小見世や切見世行きになった遊女は、花嫁に選ばれる可能性はないということですか?」

「そうですね。難しいかと思われます。そもそも下級遊女屋に訪れる人ならざる者は富を持たない者が多いので、彼らはどちらかというと花嫁探しよりも、〝己の欲求を満たすために人の女の魂を食べに来ている〟と言った方がいいかもしれません」


吉乃は思わずゾッと背筋を凍らせた。

人の女は魂を喰われ続けることで、身が滅んでしまうのだ。

つまり、継続して魂を食べられるほど、寿命が縮む。

吉乃はまさか所属する見世の差で、ここまで遊女の運命が変わってくるとは知らなかった。

 
 

「もちろん、下級遊女屋の遊女を花嫁として身請けする者もいるので、一概にこうとは言えないのですが」


曖昧な笑みを見せた琥珀は、またゆらゆらと尻尾を揺らした。

吉乃は自分から質問をしておいて、なんと返事をしたらいいのかわからなくなった。


「でも、吉乃さんはどちらにせよ、大見世の所属になっていたと思いますよ」

「え……」

「もしかしたら咲耶様からもお話があったかもしれませんが、異能持ちの遊女ともなれば、高貴なご身分であられる人ならざる者は、こぞって興味を示すはずですから。彼らは強大な力を得るため、花嫁探しに必死です。手にある富を最大限に使って、あなたの元へと通い詰めることでしょう」


そう言った琥珀は、ニヤリと笑って着物の袖に手を入れた。


「実に、有り難いことです。皆さま、花嫁を手に入れるためなら惜しむことなく、見世に大金を落としていってくれるのですから」

「こ、琥珀さん?」

「え? あ、ああ、すみません。つい、悪い癖で……」

「悪い癖?」

「お金のことになると、ちょっと裏の顔が出てしまうんです。ほら、お金はないと困りますけど、あって困ることはありませんからね」


琥珀は爽やかに笑って言ったが、瞳には〝銭〟の字が浮かんでいた。

(琥珀さんの楼主らしい一面を見てしまったかもしれない……)

 
 

「まぁ、兎にも角にも、咲耶様のご判断なら疑う余地はありません」

「あ、あの……。その、咲耶さんは一体何者なんでしょうか? 私、大蜘蛛に襲われそうになったところを助けていただいたんですが、結局、咲耶さんのことはよくわからず仕舞いで」


咲耶がどうして親切にしてくれたのかもわからないままだ。

けれど恐る恐る尋ねた吉乃に対して、琥珀はまた猫なのに鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。


「なんと。吉乃さんは咲耶様の素性をご存じないのですか?」

「す、すみません」

「ううむ、そうでしたか。でも、帝都吉原で遊女として働くなら、咲耶様のことはよく知っておくべきではあります」


そうして琥珀は仕切り直すように、コホンと小さく咳払いをした。


「咲耶様は、帝都吉原の秩序を守られているお方で、その実は帝都でも指折りの強大な力を持つ、誉れ高い神様であられます」

「神、様?」

「ええ。とても特別なお方なのです」

「特別な……」

「咲耶様は帝都政府軍・神威を率いる将官の地位に立つお方ですから。咲耶様のおかげで、帝都と帝都吉原の安寧秩序は守られていると言っても過言ではありません」


琥珀は誇らしげに、きりりと目を光らせたが、吉乃は驚きのあまり返事をすることができなかった。

(咲耶さんが、あの神威の将官――?)

信じられないが、そうだと言われたら納得してしまう。

案内所で大蜘蛛と見張り役たちを捕縛したとき、咲耶は確かに神威の名を口にした。

 
 

(でも、神威って……)

〝神威〟は違法に現世に赴き、人間狩りや悪行を働こうとする妖や邪神の捕縛や殲滅(せんめつ)が主な仕事で、違法に帝都に侵入した人の捕縛も任されている精鋭部隊だ。

加えて帝都吉原の管理も、神威に一任されていると聞く。

任務を遂行するためならどんな汚い手も使い、悪人に一切の情けをかけないことから、現世でも『神威にだけは関わるべからず』という教えがあるほどだった。

(じゃあ、もしかして黒い靄をまとった姿が、神威の将官である彼の本性?)

大蜘蛛を叩き斬ったときの咲耶は、思わず目を逸らしてしまいたくなるような、禍々しい空気を身にまとっていた。

しかし半面、桜の木の下で微笑む咲耶や、吉乃を抱いて歩く彼は終始穏やかで、優しかったのも事実だ。

(どちらが本当の咲耶さんなんだろう……)

わからない。

自身を呪われた身だと苦しげに言った彼も、吉乃を自分の花嫁だと言った彼も、なにひとつ真意を掴ませてはくれなかった。


「吉乃さん? 大丈夫ですか?」


ぼんやりと咲耶のことを考えていた吉乃の顔を、琥珀が心配そうに覗き込んだ。


「兎にも角にも、ここでいつまでも立ち話をしているのもなんですし、中に入りましょう。これからのことを、より丁寧にご説明させていただきます」


そうして吉乃は琥珀に促されるまま、紅天楼の中に足を踏み入れた。

手の中のとんぼ玉は相変わらず、咲耶の髪色と同じ薄紅色の光をまとっていた。

 


  *
  ・
  ゜
  ★
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  大見世・紅天楼

 
 




「では、まずはここでの生活と、これからのことについてお話をしましょうか」


帝都吉原一の大見世・紅天楼は木造四階建てで、長い歴史を感じさせる重厚な造りをしていた。

建物内も外観に違わず純和風の趣がある。

歩くと僅かに床鳴りがする廊下は懐かしさを感じさせるが、どこもかしこも掃除が行き届いており埃ひとつ落ちていなかった。


「まず、基本的なところですが、吉乃さんはこれからうちで、遊女になるための基本を学んでいただきます」

「遊女になるための基本、ですか」

「はい。ちなみに営業時間についてですが、うちは昼見世はやっていないので、夜見世のみの対応になると覚えていてくださいね」


楼主の琥珀が吉乃を案内した部屋は、建物内の一階にある八畳の和室だ。

 
 

「昼間に営業している見世もあるんですか?」

「ええ、ありますよ。中見世と小見世、切見世のほとんどは夜見世だけでなく昼見世もやっております」


吉乃は養父母から、帝都吉原についてのことを、それなりに聞かされてきたはずだった。

けれど遊女の見世への配属理由といい、現世で教えられたことなど大して参考にならないのだと改めて痛感する。


「遊女の年季は十八から二十八の誕生日を迎えるまでの十年間です。吉乃さんは三カ月後に十八歳になられるということなので、その間に、見世に出るために必要な知識や芸事を一通り学んでいただきます」


ドキリと吉乃の胸の鼓動が跳ねた。

見世に出るということはつまり、遊女として客をとるということだ。


「まぁ何事も百聞は一見にしかずと言いますし、遊女としての振る舞いや仕事内容は、うちに所属している遊女の皆さんを見て実際に学ぶことが一番身になるかと思います」


と、そこまで言うと琥珀は、不意に着物の袖から紐のついた小さな鈴を取り出した。


(きぬ)木綿(もめん)、ここへおいで」


そして、それをチリンチリンと揺らして鳴らす。

すると次の瞬間、ドロン!という効果音と白い煙と共に、猫の耳と尻尾が生えた小さな(わらべ)たちが現れた。

 
 

「琥珀しゃま、お呼びでございますか!」


突然のことに吉乃は驚き、後ろにひっくり返りそうになった。


「こ、この子たちも、人ならざる者ですか?」

「はい。このふたりは、絹と木綿といいます。紅天楼で色々な雑務をこなしてくれる、双子の子猫の妖たちです」


琥珀に紹介されたふたりは大きな目をキラキラと輝かせながら、改めて吉乃に向き直った。


「はじめまして! ワチキが絹で」

「オイラが木綿です!」

「「どうぞよろしくお願いします!」」


見事に息もピッタリだ。

葡萄(ぶどう)色と翡翠(ひすい)色で色違いの矢絣柄(やがすりがら)の着物に身を包んだふたりは、見た目は五歳くらいに見えた。


「あ、あの。私は吉乃と申します。今日からここでお世話になります。どうぞよろしくお願いします」


慌てて姿勢を正した吉乃も三つ指をつき、ふたりにペコリと頭を下げた。

ニコニコと笑っている絹と木綿は、どこからどう見ても可愛くて愛らしい子供だが、やっぱり琥珀と同様、頭には三毛柄の猫耳が、腰には尻尾が生えている。

 
 

「絹、木綿。早速だけど、ふたりにお願いがあるんだ。これから彼女を、鈴音(すずね)さんのところに連れていってくれるかな」


けれど、琥珀の言葉を聞いた途端に、ふたりの表情が曇った。


「その……今、鈴音しゃまは……」

「ちょっと……というか、だいぶ虫の居所が悪いと言いますか、その……」


ふたりは歯切れ悪く答えたあと、互いに顔を見合わせて視線を下に落としてしまう。

琥珀はなにかを察したのか、「なるほど」と呟いてから曖昧な笑みを浮かべた。


「あの、鈴音さんって?」


不思議に思った吉乃は琥珀を見て小首を傾げる。


「鈴音さんは紅天楼のお(しょく)……つまり、ここの遊女の頂点に立つ花魁を務めている女性です」


琥珀の返事に、吉乃は思わず目を見開いた。

当然吉乃も、花魁がどういう存在であるかくらいは知っている。

花魁とは、見世の頂点に立つ高級遊女のことで、まさに高嶺の花と言える存在だ。

帝都吉原では花魁を花嫁として身請けする場合、莫大な金銭を支払う必要があると聞く。


(そう言えば案内所で見張り役が、〝鈴音花魁〟という名前を口にしていたような……)