遊郭の花嫁
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「ずっと、お前を探していた。俺の花嫁」
低く艶のある声に導かれ、女は静かに振り返る。
空に向かって大きく枝を広げる桜の木の下には、白い軍服をまとった眉目秀麗な男が立っていた。
「あなたは――」
漆黒の瞳は一途に、女へと向けられている。
さらりと風に流れた銀色の髪は毛先に向かうにつれ薄紅色に染まっていて、陽に透ける度に色濃くなった。
とても、美しい人。
半面、どこか陰のある男の様子に、女は一抹の不安を覚えてしまう。
「約束だ。お前だけは、なにがあっても護り抜くと誓う」
桜吹雪が舞う幻想的な景色の中で、ふたりは互いを求めて手を伸ばす。
はらり、はらりと散る花びらだけが、運命の行く末を見守っていた――。
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序幕
古より日本は、ふたつの世界で成り立ってきた。
人々が暮らす表舞台、〝現世〟と、人ならざる者──妖や神、そして一部の選ばれし人のみが住まう、〝帝都〟だ。
ふたつの世界は決して交わることはないと思われた。
人は人ならざる者の怪異的な力に怯え、人ならざる者もまた、人の未知なる知恵を恐れたからだ。
しかしあるとき、人ならざる者の中でも特に強大な力を持つ者が現れた。
それは、人ならざる者でありながら、人の女を花嫁として迎えた妖だった。
「人ならざる者の雄は、清らかな魂を持った人の女を娶ることで、より強い力を得ることができる」
ふたりの間に生まれた子も賢く雄弁で、帝都にて数多の輝かしい功績を残したという。
以降、人ならざる者の男たちの多くは、人の中から生涯の花嫁を探すことに躍起になった。
けれどそのうち、手当たり次第に人の女を攫う、人ならざる者が現れはじめる。
事態を重く見た現世と帝都の両政府は、〝とある場所〟以外での花嫁探しを禁ずる掟を定めた。
すべては安寧秩序を守るため。
こうして、人ならざる者が、花嫁となる女を探すために訪れる場所として、苦界と呼ばれる花街・遊郭、〝帝都吉原〟は創られた──。
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出逢い
ときは大正――。ここは、浪漫華やぐ現世の闇が巣食う場所。
「さぁ、次の女、前へ出ろ」
抵抗できないように両手を後ろで縛られた女のひとりが前に出る。
彼女の身体検査が終わればいよいよ自分の番だと、吉乃は無意識のうちに身構えた。
ここは、帝都吉原。
今、吉乃がいるのは現世から売られてきた女たちの運命を決める、案内所だ。
一般的な劇場ほどの広さの室内には約二十名の女が集められており、彼女たちは共通して、遊女になる宿命を背負っていた。
「こいつらの中に、帝都で名を馳せるお方の花嫁に選ばれる女がいるかもしれないっていうんだから、おかしな話だぜ」
女たちを見張っている人ならざる者のひとりが、嘲りながら周囲を見回す。
「とはいえ、選ばれる女は、ほんのひと握りだろう?」
「当然さ。俺たち、人ならざる者には選ぶ権利があるからな。花嫁にするのは人の女なら、誰でもいいってわけじゃない」
帝都吉原は現世政府と帝都政府の公認で創られた、人ならざる者が人の女と触れ合える唯一の場所だ。
未だに理屈は解明されていないが、人ならざる者の男は人の女を生涯の伴侶として迎えることで、強大な力を得られると言われている。
そのため、帝都に住む人ならざる者たちの多くは、花嫁を見つけるために帝都吉原に通い詰めた。
ただし、花嫁にするのは誰でもいいというわけではないらしい。
魂が清らかで、なおかつ波長の合う相手こそが〝最愛の花嫁〟として見初められ、大金を積まれて買われていった。
反対に魂が穢れていたり、誰とも波長が合わない女は人ならざる者に魂を喰われ続け、次第に心が弱って、いずれ身が朽ち果てるというわけだ。
魂の善し悪しや相性は、人ならざる者にしか判別ができない。
だから帝都吉原の遊女たちの多くは言葉の通り、花嫁探しという名目で、彼らの喰いものにされていた。
「遊女になったが最後。一度、帝都吉原の大門をくぐった女は年季が明けるか、花嫁に選ばれて身請けされなきゃ、外には出られねぇからなぁ」
実際、悲惨な現実に耐え兼ね、逃げ出そうとする遊女は後を絶たないという。
しかし仮に逃亡を図ったとしてもすぐに捕まるか、運良く大門の外に出られた場合も神威と呼ばれる帝都政府お墨付きの精鋭軍に、捕縛されて終わりだ。
「俺ら、人ならざる者を恐れる女たちにとっちゃあ、ここは地獄──苦界で間違いねぇだろう」
「でも、中には率先して帝都吉原に来る物好きもいると聞いたぜ?」
「そういう女たちは、帝都の高貴なお方に見初められるために、あの手この手を使って成り上がろうとするんだから恐ろしいもんだ。ほら、例の──〝鈴音花魁〟あたりは、良い例じゃないか?」
見張り役たちの会話を聞きながら、吉乃はそっとまつ毛を伏せた。
(花嫁とか身請けとか、成り上がりとか……私にはまるで関係のない話だなぁ)
自身の足元を見つめる吉乃の目に、光はない。
思い出されるのは現世での不遇な日々だ。