今回は残念だけど諦めて帰る事にした梓の背後、さっきまで居た玄関の方から微かに人の気配を感じた。

「トキタ……さん?」
 梓は振り返ってドアの向こうに居るはずの常田に意思の疎通を試みた。

「グチャッ!グチャッ!」
 ドア越しに聞こえてきたその音は、まるで肉食動物が獲物を貪るような血生臭い咀嚼(そしゃく)を連想させた。

「常田さん!入りますよ!」
 時間的にも、もう待てない梓は意を決して玄関のドアを開けた。

「んがぁ!?」
 梓の視界に飛び込んできたのは、人間の姿形とはかけ離れた奇妙な獣みたいな生き物で、さっきインターホンで会話した常田 人生なのか?はっきりと認識するには難しい状況だった。

「あ……あの……トキタ……さん?」
 その生物は既にエクレアとシュークリームを全て平らげた様子で口唇とその周囲にカスタードクリームとチョコレートを纏わり付かせて、やや荒い息遣いをしながら黄色い眼球を目の前に居る梓に向けてギラつかせていた。

「驚きました?」
 そう言いながら奥の部屋から1人の男性が現れた。その男は背が高くて身嗜(みだしな)みが整った、いかにも好青年といった風貌で、顔立ちはマスクを着けていたとはいえ、メンズのファッション雑誌でよく見るような「整いすぎ」た美貌のモデルそのもののようだった。

「あ、あの……失礼ですが、あなたが常田 人生さんですか?」
 梓は不意に現れた青年から漂ってくる、多分オーデコロンとは違うであろう香水の甘美な匂いに吸い込まれそうになりながらも何とか堪えて質問を投げ掛けた。

「はい。私が常田 人生です。初めまして!棚森 梓さん」
 常田はそう言った後、右手を差し出して梓に握手を求めた。
「あぁ、は、はい!初めまして!棚森 梓です!」
 梓は常田の右手を両手で優しく覆って改めて彼の顔を見上げた。
「ちょ~、カッコいいんですけど……」
 梓の口から思わず(こぼ)れた本音だった。
「ん?今何て?」
 聞き返す常田は、この状況下に於いて唯一不自然な状態の隣に居る奇妙な生き物へ目を配っていた。
「あぁ、この子の紹介を忘れていましたね!驚いたでしょう?何に見えますか?梓さん!」
 梓の表情が少しだけ強張った。何かに気が付いた様子の梓は少し間を空けて仕切り直してから、凛とした表情で常田に問いかけた。

「あの、初対面で大変恐縮なのですが、何故まだ会ったばかりの私に(棚森さん)ではなく下の名前の(梓さん)と仰ったのでしょうか?それと……」
 元来気が強く、物事をハッキリと白黒つけたがる梓の性格がこの場でも容赦なく発揮されてきた。
「それと、知るはずのない私の下の名前を貴方は何故か?知っていた。さっき外から呼び掛けた時だって私は苗字である棚森としか名乗っていない。私にとっては、この動物よりも常田さん!貴方の方が、とても不自然です!」
 梓の話をどこか不自然な笑みを浮かべながら黙って聞いていた常田は梓に対して手を叩いて拍手を始めた。

「ブラボー!大変素晴らしい!キミは今までやって来たセンターの無能な連中とは別次元の人間のようだね!そう来なくっちゃあ!面白くなってきたよ!」
 常田は隣の動物のような生き物の頭を軽く撫でながら梓に軽く会釈をして話を続けた。

「先ず、キミには申し訳ないが最初の疑問点に時を戻そう!この子の事だ!」
 相変わらずの様子の奇妙な生き物は常田が現れてからは随分と大人しくお座りなどして自分が紹介されるのをひたすらに待っているようにも見えた。

「私の疑問には何も答えてくれないのですか?トキタ、いえ、多分今はトキタ ヒトナリさんではない、どこかの誰かさん……」
 完全に何かを確信したかのように、梓は強気に挑発的な言い回しで常田?に詰めよった。

「フッ、驚いたねぇ~!僕がトキタ ヒトナリではない?ならば誰なんだろうねぇ~?そう言っているキミは、ホンモノのタナモリ アヅサなのかなぁ~?」
 男はそう言った後、急に梓に近づき、反射的に後ろに逃げようとした梓を(壁ドン)ならぬ(ドアドン)して自らの射程圏内に置いた。これで、ある意味形勢は逆転したかのように見えた。

「あ、アナタは一体誰なの?今までに何があったの?」
 梓は目の前に迫ってきた男に怯えながらもしっかりと目を見開いて真実を見届けようと覚悟を決めた。

 センター長の飯尾からリミットとして告げられていた45分の面会時間は守れそうにないな……梓はそんな事を思いながらも何故か?心には大きな余裕すら感じていた。寧ろ、こんなイレギュラーな展開を心底楽しんでいる。そんな様子だった。