――絢乃さんは平日は毎日、朝から夕方まで、それはもう目の回るようなスケジュールをこなされていた。
 僕もたいがいハードワークだと思っていたが、彼女のみっちりなハードスケジュールに比べたらまだ可愛い方だったかもしれない。

 朝早くに起きて電車で一時間以上かけて登校され、一日授業を受けてから僕の送迎で出社しお仕事をされ、夕方に帰宅。
 帰宅時間はその日の予定によって、早くなる日もあれば遅くなる日もあった。
 そんなハードな日常を送られていた彼女はお疲れのようで、帰りの車内でうつらうつらと微睡(まどろ)んでいらっしゃったことも何度もあった。

 ――その日の帰りにも、彼女は眠っていた。

「――絢乃さん、明日の予定はですね……あれ? 寝ちゃってるよ」

 僕が翌日の予定を確認しようと助手席に声をかけると、彼女はすでにスヤスヤと夢の中だった。
 オフィスから彼女のお宅までは、車で二十分ほどで着く。でも、お疲れの彼女を二十分のうたた寝だけで起こしてしまうのは忍びなく、そしてその可愛い寝顔が見られなくなるのは僕個人としてはもったいなく……。
 そういう時には、僕から義母に帰りが少し遅くなる旨を連絡し、わざと遠回りをするようにしていた。少しでも長く、彼女が寝ていられるように。

〈桐島です。
 絢乃さん、車の中でぐっすりお休みなので、少し遅くなります〉 ……

 義母のスマホにメッセージを送信し、僕はまたハンドルを握った。
 
 ――絢乃さんは、寝顔もまた天使級の可愛さだ。仕事中に見せられる、大財閥の総帥としてのキリッとした表情も僕は好きだが、十代の女の子らしい無防備な寝顔もまた、僕の心をしっかりと掴んで離さなかった。

 実をいえば、僕の煩悩の中でもっとも大きかったのが、彼女の無邪気な寝顔だったりするのだ。僕は何度、助手席で寝息を立てていた彼女に触れようと手を伸ばし、思い留まってその手を引っ込めたことだろう。

 それをしてしまえば、僕の気持ちが彼女に知られてしまう。せっかく築いてきた信頼関係も壊れてしまう。最悪、僕は絢乃さんから幻滅され、クビになってハイおしまい、だ。……そう僕は思っていた。何が言いたいのかというと、僕がいちばん恐れていたのは彼女に嫌われることだった、ということだ。

 ――と、そこへ義母からの返信が来た。

〈了解。
 桐島くん、いつも悪いわね。絢乃のことよろしくね〉 ……

 彼女も義母も、僕のことを心から信頼して下さっていた。そんなお二人の信頼を、裏切るわけにはいかなかったのだ。