こんなに大勢の人間の前で、大財閥の代表としてスピーチをしなければならなかったのだ。跡取り娘の宿命とはいえ、一人の女子高生には重すぎるシチュエーションだった。緊張されるのもムリはないだろう。

「絢乃さん、……もしかして緊張されてます?」

 気遣って声をかけた僕に、彼女は不安そうに頷き、「わたし、ちゃんとスピーチできるかしら?」と言った。
 その縋るような眼差しは、僕のことを頼れる大人として認識して頂けているようで、これは彼女のために何かせねば! と僕も脳をフル回転させた。

「いよいよですもんね。心配されるお気持ち、僕にもよく分かりますよ」

 ――そういえば、僕自身も子供の頃から極度のあがり症だったので、学校の音楽会や学芸会、文化祭などの前には必ずといっていいほど胃の痛い思いをしていたものだ。
 そんな僕に、母がとっておきの「緊張しないおまじない」を伝授してくれていた。それを彼女にも教えて差し上げたらどうだろうかと思い立った。

「――あ、そうだ! 緊張を(ほぐ)すおまじない、お教えしましょうか」

「……お願いできる?」

「子供扱いしないで」と怒られるかと思いきや、意外にも彼女は僕の提案を素直に受け入れて下さった。

「はい。僕も子供の頃からあがり症だったんで、母が教えてくれたんですけど。客席にいる人たちをジャガイモとかカボチャだと思えばいいんだそうですよ」

 今思えばなんて古典的なおまじないだろうと思うが、これが意外にも効果てきめんだったのだ。
 彼女も一瞬、「ジャガイモ……」と呆気に取られていたが、その光景を本当に思い浮かべてしまったのだろう。次の瞬間、肩を震わせながら弾けるように笑い出した。

 それまでにも彼女の笑顔は何度か目にしていたが、ここまで明るく声を上げて笑う姿を見たのはこれが初めてだったように思う。彼女のとびきりの笑顔を引き出すことに成功した僕は、つい調子に乗ってやらかしてしまった。

「……絢乃さん、今日やっと笑ってくれましたね。やっぱり、あなたの笑顔はステキです」

「…………え」

 あまりにもキザすぎるセリフに、彼女は固まってしまった。
 ……ヤベぇ、俺またやっちまったぁ! 僕は心の中でひとり悶絶していた。これで、彼女に「ヘンな人だ」と思われたらどうしよう!? と本気で焦ってとっさにごまかそうとしたのだが。

「……ありがと。貴方のおかげよ」

 彼女は清々しいくらい朗らかに、僕にお礼を言って下さったので、今度は僕がポカンとする番だった。
 とはいえ、彼女の緊張を取り除くというミッションは無事に完遂(かんすい)することに成功したのだった。