僕は他の人たちに断りを入れ、絢乃さんをそっと連れ出した。座敷では僕への怒号が飛び交っていたが、加奈子さんがそれを当主らしく一蹴(いっしゅう)してくれたのでスカッとした。

 待合ロビーはしんと静まり返っていて、座敷ほどではないが暖房も効いていた。僕たち以外、誰もいなかった。
 彼女をソファーに残し、僕は自販機まで飲み物を買いに行った。その時のリクエストが温かいカフェオレだったことから、彼女も僕と同じくコーヒー好きだということが分かったのは収穫だったと思う。

 僕の分の微糖の缶コーヒーも買い、彼女の元へ戻った。彼女は黒いウールのコートをひざ掛け代わりにして、バッグから取り出したスマホを見ていた。後から聞いた話では、スマホには里歩さんからのメッセージが受信していたそうだ。
 彼女は僕が差し出したカフェオレを受け取ると、スマホをローテーブルに一旦置いて、バッグから財布を出した。

「ありがとう! ……あ、お金――」

「ああ、いいですよそれくらい」

 小銭入れを探り始めた彼女を、僕はやんわりと制止した。これくらいで遠慮されても困る。僕が好きでやったことなのだから。

 彼女は財布と一緒にスマホをバッグにしまってから、缶のプルタブを起こしてカフェオレすすり始めた。それを見届けてから、僕も彼女と適度に間隔を空けてソファーに腰かけ、自分の缶を開けて飲み始めた。
 僕が美味しいコーヒーを淹れることに()っていることを彼女に話すと、彼女は「わたしも一度飲んでみたい」とうっとり目を細めた。
「その望みが案外すぐに叶うかもしれない」と言ったのは、決して冗談ではなかった。

 彼女は親戚に対して苦言を呈しながらも、「自分に会長なんて重責務まるのか」と僕に弱音を吐いた。それは嘘偽りのない彼女の本音だったのだろう。
 ……打ち明けるなら今だ! 心の中で、もう一人の僕が背中を押した。

「……もう、お話ししてもいい頃かもしれませんね。部署を異動することは、もうお伝えしてましたよね? その転属先は、実は秘書室なんです」

 僕はそう言ってから、小川先輩の後任は自分なのだと改めて彼女に告げた。彼女の驚いた顔を、僕は今でも忘れられない。

 でも、何だか源一会長の死を望んでいたように聞こえた気がしたので、僕は慌ててそんなことはないと弁解したのだが。それを聞いた絢乃さんが吹き出したので、僕もホッと安堵した。

「――桐島さん。わたし、どこまでパパのようにできるか分からないけど……、頑張って会長やってみるわ。だから、これから先、わたしのことしっかり支えてね。よろしくお願いします」

「はい、もちろんです! こちらこそよろしくお願いします、絢乃会長」

 ――こうして、僕の総務課としての最後の務めは無事終わったのだった。