「……ゴメン、取り乱しちゃって」

 僕に声を荒らげてしまったと反省した先輩は、ハッと我に返って僕に頭を下げた。

「いえ。僕の方こそ、センシティブな問題に首突っ込んじゃったみたいですみませんでした」

 悪いのは先輩ではなく、僕の方だった。いくら学生時代の先輩が相手とはいえ、他人のプライバシーに踏み込むのはご法度だ。
 
「――じゃあ、私は今日早退するから。会長のご様子も気になるし、せめてこういう時くらいは側についてて差し上げたいから。……これが秘書として最後の仕事になるかもしれないし」

「……はい。お疲れさまでした」

 時刻は午後一時前。先輩は一旦秘書室に寄り、広田室長に早退の旨を告げてから篠沢邸に向かったという。
 僕が絢乃さんに、源一会長の容態を訊ねたのはその前日だった。末期ガン患者の病状は刻一刻と変わるらしい。彼女は一体、どんな想いでお父さまが弱っていくのを見ていたのだろう……。
 まだ午後の業務が始まるまでは少々の時間があった。僕は内ポケットからスマホを取り出し、彼女に電話をかけた。
 彼女だって、僕からの連絡を待っているかもしれないし……、と自分に言い訳をして。

『――はい。桐島さん?』

 前日と変わりなく、今にも泣き出しそうな声に、僕の胸は締め付けられた。

「はい、僕です。――お父さまのご様子はいかがですか?」

『うん……、あんまり変わらないみたい。昨日からほとんど意識が戻ってなくて、ずっと眠ったままみたいな状態で。……主治医の先生も、このまま意識が戻らなければ年明けには……っておっしゃってた』

「そうですか……」

 必死に泣くのをこらえていたのだろう。時々鼻をすすっていた彼女に、僕の目もつられて潤みそうになった。
 健気だ。健気すぎる。こんな時くらい、僕に泣き言を言ってくれても構わなかったのに……。まだ彼氏になったわけでもなかったのに、こんなことを思った僕は厚かましかっただろうか? 今思えば、「お前何サマだよ」という感じではある。

「……絢乃さんは、大丈夫ですか?」

『わたし……? どうして?』

「僕が今心配なのは、絢乃さんの心の方です。そんなに気丈に振る舞ってらっしゃっても、僕には分かりますよ。あなたが必死に泣くのをガマンして、ムリをしてらっしゃることくらい」

『…………それは、だって』

「それも何となくですけど分かります。お母さまのためですよね? 自分が泣いたら、自分よりおつらいはずのお母さまが泣けなくなる。そうお思いなんじゃないですか?」

 彼女は心がキレイで、すごく優しい人だ。それに、自分にも他人にも厳しい。僕が言ったことは、多分当たっていたと思う。