源一会長はそこまで僕に訊ねられてから、「ああ、そうか」と思い出された。

「絢乃から聞いたんだね。君もあの日、私が倒れたところを見ていたようだし……」

「……はい。僕がお嬢さんをお家までお送りして、その時に連絡先を交換させて頂きました」

 僕の答えに、彼も「やっぱりそうか」と頷かれた。

「では絢乃が言っていた、私に受診を勧めた社員というのも――」

「はい、僕です。差し出がましいことをして申し訳ありません。会長のお体のことが心配だったもので……」

「いやいや! 謝る必要はないよ。心配してくれてありがとう」

 僕が謝罪すると、会長は困ったような表情をされ、すぐに笑顔を浮かべられた。

「――治療を受けられて、ご気分はいかがですか? 絢乃さんも奥さまも心配されているでしょうから、あまりご無理はなさらないで下さい。……あの?」

 会長が声を出してお笑いになったので、僕は面食らってしまった。

「いや、申し訳ない。君がさっきから娘のことばかり言ってるもんだからね、もしやあの子に気があるのかと思って」

「ぃぃぃぃ……いえいえ! そんな、とんでもない! いやいや畏れ多いですっ! 僕ごとき一般社員がお嬢さまになんて、そんなおこがましい!」

「そこまでムキになって否定しなくてもいいだろう? 私は構わないよ。絢乃のことを大事に思ってくれているなら」

「……はあ」

 僕はこの日まで、源一会長は雲の上の人のように思っていた。会長と平社員、接点なんてあるわけがないと。
 でも、絢乃さんと知り合ったことで、そのお父さまである会長のこともグッと身近な存在に思えるようになった。よく考えてみたら、源一会長だって元からセレブだったわけではないのだ。結婚前には、僕と変わらないイチ社員に過ぎなかったのだから。

「気分は……そうだな、抗ガン剤の副作用で体がだるい時もあるし、吐き気がひどい時もあるよ。今もあまりいいとは言えないな。だがね、私はこの会社が好きなんだよ。君たち社員のこともね。だからもう先が長くないと分かってても、できるだけ長い時間この会社に関わっていたいんだ」

「会長……」

 絢乃さんも、お父さまのお気持ちをご存じなのだろうか? そしてご納得されているのだろうか……? 僕は絢乃さんの心中を案じていた。

「――そろそろ午後の業務が始まるね。私もこれから総務課や他の部署の視察に行くんだ。では、頑張ってくれたまえ」

「……はい」

 僕は会長が先に行ってしまわれると、小川先輩に「会長、ホントに大丈夫なんですか?」と訊ねてみた。

「私はお止めしたんだけどね、会長は聞く耳持って下さらなくて」