『ううん、それはこれから聞くけど。一応、今日は家に帰ってきてるから、すぐに入院ってことにはならなかったんだと思う。先生はパパのお友達みたいだから、パパの意思を尊重したかったんじゃないかしら』

 ……そう来たか。ということは、源一会長が本当にギリギリまで出社されるかもしれないということを意味していた。
 医師というのは、死期の近い患者には最期の瞬間まで患者自身の思い通りにさせてやりたいと思うものなのだろう。ましてや、その主治医がご友人であったならなおさらだ。

 僕はこの件について、彼女には悲観的になってほしくなかった。
 お父さまが「あと三ヶ月しか生きられない」というのは、裏を返せば「まだ三ヶ月は生きていられる」ということでもあるのだ。だから、できるだけ前向きに考えてほしいと思った。そしてその間に、彼女には精一杯の親孝行をしてほしいと。

 そのことを伝えると、彼女は「自分もお父さまには悔いを残してほしくない」と頷いて下さった。

「そうでしょう? ――僕が絢乃さんにして差し上げられることなんて、こうしてお話を聞くことくらいですけど。それでもよければ、またいつでも連絡して下さい。それで、絢乃さんのお気持ちが楽になるんでしたら」

 血縁者でもない、接点すらほとんどなかった僕が彼女のためにできることなんて、たかが知れていた。それでも、彼女が僕に胸につっかえた色々な思いを聞き、(ちょっと偉そうではあるが)人生の先輩としてアドバイスを送ることくらいならできると思った。
 些細(ささい)なことかもしれないが、それが一番彼女にとっても救いになるのではないかと。

『ええ。ありがとう、桐島さん。――それじゃ、また何かあったら連絡するわ。じゃあ、失礼します』

「はい。じゃあまた」

 彼女は僕に感謝の言葉を言って、通話を終えた。……僕個人としては、何もなくても彼女に連絡してほしいという気持ちではあったのだが。そんなことを言えば、下心見え見えで幻滅されるかもしれないので、これは今でも絢乃さんに内緒である。

「――これで、絢乃さんの気持ちがちょっとでも楽になってくれてたらいいんだけどな……」

 代々木まで車を走らせながら、僕は独りごちた。
 来るべき時のために、秘書室への転属希望は出すつもりだったが、僕が彼女のためにできること、やるべきことは他にないものか? この頃の僕は、毎日そんなことばかり考えていたような気がする。