「……そうかな? まぁ、嫌がらせの相談はともかく、転属希望くらいは聞いてもらってこようかな」

「それがいいんじゃね? 行くなら早い方がいいと思うぜ」

 彼は僕を助けようとしてくれているのだと、僕は気づいた。彼に小声で「サンキュ」と礼を言い、仕事に集中しているフリをした。
 ちなみにここまでの久保との会話は、課長には聞こえていなかったようである。

「――桐島君! これからすぐに、経理部まで行ってくれんか」

 課長が領収書の束を持って、僕の席までやってきた。
 また面倒な仕事を僕に押しつけるつもりだと分かったが(経費の精算は、本来各部署の責任者がまとめて行うことになっているのだ)、一度は辞めることまで考えていた僕にはもう、この程度の圧力は怖くも何ともなかった。

「はい! 行ってきますっ!」

 課長から領収書の束をひったくると、僕は勢いよく椅子から立ち上がった。

「毎度毎度、お前も大変だな。……俺が代わろうか?」

「いや、いいよ。行ってくる」

 久保が代わりを申し出てくれたが、行かないのは課長に負けを認めるようで(シャク)だった。「負けるもんか!」と自分を励まし、鼻息も荒く総務課を後にした。

 どうせ、この部署にいるのもあとわずかの期間なのだから、と。

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 ――その日の昼休み。僕が社員食堂でひとり(もちろん、他の社員もいたのだが)ラーメンをすすっていると……。

「――桐島くん。向かいの席、いい?」

「どうぞ。……って小川先輩!?」

 女性の声がしたので顔を上げると、トレーを持って立っていたのは小川先輩だった。
「ありがと」と言って僕の向かいの席に座った彼女のメニューは、唐揚げ定食だった。

「今日、会長はお休みのはずですよね? 先輩は会社にいらっしゃってていいんですか?」

 ボスが休んでいらっしゃるのに、秘書だけが出社していていいのだろうか? 僕が疑問をぶつけると、白いご飯が盛られた茶碗を持ち上げた彼女が眉をひそめた。

「……どうしてそのこと、あなたが知ってるの? 昨日お倒れになったことはもう社内に知れ渡ってるけど、会長が今日出社されてないことは、まだ一部の人しか知らないはずよ?」

「それは……えっと、絢乃さんから伺って……。昨夜、お電話で」

 彼女にはウソはつけないので、僕は正直に白状した。

「絢乃さんから? 連絡先、いつの間に交換したのよ」

「昨夜、帰りに彼女をお家までお送りすることになったんで、その時に。……あっ、僕から言い出したんじゃなくて、彼女の方がおっしゃったんですよ!?」