――僕が当時所属していた部署は総務課だった。社内にまつわる様々な雑務、イベントの運営進行が主な業務内容で、男女合わせて四十人ほどの社員が所属している。僕の同期入社も何人かいた。

 この総務課のボスが、現在は退職してしまった島谷(しまたに)照夫(てるお)課長。五十代半ばで、大手メガバンクで支店長を務めている僕の父親と年齢はそう変わらないと思う。典型的な中間管理職、そしてワンマン課長で、「部下の手柄は自分のもの、自分の失態は部下の責任」というとんでもない考えを持った上司だった。

 自他ともに認める〝お人()し〟である僕は、そんな島谷課長のパワハラの格好の餌食(えじき)になっていた。彼がしなければならない残業を無理やり押し付けられたり、彼のミスを僕のせいにされたり、完全にキャパオーバーな仕事をさせられたり……。
 もちろん、断れない僕自身も悪いのだが、それにしてもひどすぎた。だいぶ後になって分かったことだが、彼の被害者は総務課の社員の九割に上っていたらしい。

「もう、この会社辞めたい……」

 四つ年上の兄の(ひさし)や、大学の二年先輩で秘書室所属、会長付秘書を務めていた小川(おがわ)夏希(なつき)さんに何度そうこぼしたことだろう。
 仕事自体は嫌いではなかったし、同じ部署の先輩たちはみんな僕によくしてくれていたから、何とかギリギリのところで踏み留まっていたが、それももう限界に近づいていた。

 ――そう。彼女に初めて出会ったあの日も。

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「――桐島君、ちょっといいかね?」

「はっ、ハイっ!」

 ……来た! 僕は課長に呼ばれた途端、ビクッとすくみ上がった。
 
 この頃、僕は彼に呼ばれるたびにキリキリと胃の辺りに痛みを感じるようになっていた。
 今度は何なんだ!? その時だって、僕は課長から「急ぎで頼む」と押し付けられていたプレゼン資料を作成していたというのに。また僕に何か押し付けるつもりだろうか?

「今日、篠沢会長のお誕生日なのは君も知ってるな?」

「……はあ。存じておりますが」

 彼女のお父さま・篠沢源一(げんいち)会長はこの日、四十五歳のお誕生日を迎えられており、夜にこのビルの二階にある大ホールで誕生パーティーが行われることになっていた。これは毎年恒例の社内行事のようなもので、彼の会長就任当時に有志メンバーで始めたのだと聞いたことがあった。

「夜のお誕生日パーティーには、(わたし)も招待されてるんだが……」

「……はあ」

 源一会長の誕生日パーティーには、管理職以上の社員とグループの役員、そして彼のご家族だけが出席を許されていたのだが……。課長の口ぶりに、僕はイヤな予感しかしなかった。

「残念ながら、私は他に用があってね。悪いんだが、君が代打で出席してくれんかね?」

 ……ほら、やっぱりな。「残念」とか「悪いんだが」とか言っているわりにはまったく悪く思っていない様子で、課長は僕にパーティーの代理出席を押し付けてきた。