――ここは、僕の職場。東京(とうきょう)(まる)(うち)にある大財閥・〈篠沢(しのざわ)グループ〉の本社・篠沢商事。
 ……の、地上三十四階・地下二階の三十六階建てビルの最上階にある会長室である。

「――桐島(きりしま)さーん! コーヒーお願い」

「あっ、ハイ! かしこまりました、会長」

 西側の大きなガラス窓を背にして、デスクでパソコン作業に打ち込んでいた一人の若くて可愛い女性が、ドアの(そば)の秘書席で資料作成をしていた僕に声をかけてきた。

 彼女は篠沢絢乃(あやの)さん、十九歳。この〈篠沢グループ〉の若き女性会長(トップレディ)であり、僕の……生涯のパートナーでもある。
 そして僕は、篠沢(みつぐ)、二十七歳。彼女が呼んだ「桐島」というのは僕の旧姓で、僕は前会長の一人娘だった絢乃さんの姓に入ったいわば〝入り婿〟なのだ。
 僕と彼女はつい十日ほど前に結婚したばかりで、「仕事の時は旧姓で呼ばせてほしい」という彼女の要望を、僕が聞き入れてこうなった。入り婿という立場と、職場でも彼女は僕のボスだから、その方がしっくりくるのだ。

 僕はパソコン作業の手を止め、席を立って会長室の隣にある給湯室へ向かった。彼女は、僕が()れたコーヒーが大好きなのだ。
 
 (こだわ)りの方法で彼女のためのコーヒーを淹れながら、僕は左手薬指にはめられているプラチナのリングに目を遣り、微笑む。
 このリングは彼女と一緒に選んだ僕たちの結婚指輪で、彼女も当然同じものをしている。シンプルながら遊び心もあるデザインが、彼女にも気に入ってもらえているようだ。

 ちなみに、彼女の同じ薬指にはもうひとつ、小さなダイヤモンドがあしらわれたプラチナリングも光っていて、胸元にはゴールドでできているハート形のトップがついたプラチナのネックレスも着けている。
 この二つは、僕から彼女にプレゼントしたものだ。ネックレスは彼女の十八歳のお誕生日に、リングはクリスマスイヴに贈ったエンゲージリングだった。
 彼女はどちらも、「一生の宝物にするね!」と僕に言ってくれた。本当に純粋でまっすぐで、心のキレイな女性だ。こんな僕にはもったいないくらいの。

「こうして結婚するまでには、色々あったんだよなぁ……」

 薫り立つコーヒーに多めの砂糖とミルクを入れながら、僕は独りごちた。

 彼女と初めて出会った時、僕は会社を辞めたいと思っていた。今いる秘書室へ転属する前にいた部署で、僕は上司から堪えられないほどの嫌がらせを受けていたのだ。
 それを救ってくれたのが、他でもない彼女だった。
 
 ――彼女との出会いは、ニ十ヶ月前まで(さかのぼ)る。