――また、気がつくと。
 雀が鳴いていた。
 朝が、来たみたいだ。明け方の、埃の払われていくような匂いがする。

 いまは、秋のはじまりの季節。まだまだ日中は残暑が厳しいけれど、朝は涼しくなってきている。
 毛で覆われたふかふかのこの身体だと、暑い季節はへばるけれども、寒い季節はけっこう過ごしやすかったりする。

 いつもと違う部屋。いつもと違う天井。
 畳の匂い、清らかに流れる水の音と匂い、深い森のいい匂い。

 ……よく寝てしまったみたいだ。

 うとうとして、うまく働かない頭。
 ぼんやりと思い出してくる……そうだ、私は、バイトに行って、先輩の代わりに残って。帰りが遅くなって、事故に遭って、それから雨宮星夜に拾われて――。

 ――がたりと、ほとんど反射的に身体が動いた。

「起きたか」

 赤い格子越し、目と鼻の先の距離で、優しそうにこちらを覗き込むのは……雨宮星夜。
 どう見ても、雨宮星夜だ。
 夢じゃなかった、現実だった。

 相変わらず黒い烏のような和服を着ているけれど、よく見ると違う服のようだった。昨晩のような温かそうな羽織ではなく、すらっと丈の長い、さらさらした素材の和服に替わっている。

 ……というか、このひと。
 なんで、私が起きた瞬間に檻の前に座っているのだろう。
 私が起きるのを確認して、こっちに来たというわけでもなさそうだったし……まさかとは思うけれど、ひと晩じゅう私を……というか一匹の犬を、眺めていたのかな……?

「心配で、寝ずの番をしてしまった……俺は、本来はそれどころではないのだぞ。いまはとりわけ忙しない時期なのだ。しかし、愛いおまえが夜中に急に具合を悪くしないか心配で心配で心配で……この通り、一睡もできなかったというわけだ。特別だぞ。ははは」

 心配で寝ずの番、って――ほんと、めちゃくちゃ多忙なはずなのに、大丈夫なのかなって心配したくなる。
 あやかし同士の争いに関しては適切で効果的な戦略で有名なのに、このひと、犬に関しては判断力がおかしくなるのだろうか。

「目を覚ましたならば、美味い粥を出してやろう。俺の特製の粥だ。少し待っていろ」

 雨宮星夜は立ち上がり、廊下に出てどこかへ向かったようだった。
 耳を澄ませると、少し離れたところから人々のざわめきがかすかに聞こえてくる。料理やひとびとの活動の、温かい匂いがする。
 結構、広い場所みたいだ。

 思ったよりもすぐに、彼は戻ってきた。
 ……彼がすがたを見せるよりも先に、ふんわりと漂ってきたいい匂いに、思わず唾液が増えてしまって舌を垂らした。
 たぶん、この匂いは、新鮮な鮭かなにかが使われている。

 そういえば、昨日の夕方からなんにも食べていない……それは、おなかがすくわけだ。

 戻ってきた雨宮星夜の手には、犬用の餌皿に盛られたほかほかのお粥。
 彼は檻の上側ではなく、犬が自力で出入りできるほうの、側面の扉を開けた。
 ……ことんと、出入り口ぎりぎりのところに皿が置かれる。

「怖くない、怖くないからな、ひとくちだけでも食べてみてくれ」

 片手をおいでおいでと言わんばかりにひらひらさせるだけではなく、ちっちっと、怖がる動物を安心させて呼び寄せるかのように舌を鳴らしている。
 もう、ほんと、甘々対応だ。

 ……こんなの。
 言われなくたって、食べたい……とっても美味しそうなんだから。