私の目は、あっけにとられてまん丸くなっているのではないだろうか。
 目が合うと、雨宮星夜の表情はますます崩れる。

「ああ……なんと可愛らしい……」

 ……先程とは違う種類の恐怖が、ちょっとこみ上げてきた。
 このひと、もしかして、ほんとに、もしかしたら、なんだけども……。

 犬が、とっても好きなんじゃないの?

「やはり、犬……犬を飼いたい……なにゆえに、暮葉(くれは)といい、一族の皆といい、犬を飼うことをあそこまで頑なに反対するのか……もう犬カフェに通うだけの日々は、つらい……」

 苦悶の表情で語っている。
 そんなとこに行ってるんですね、雨宮星夜さん。あやかしの一族同士の争いで超多忙なはずなのに、いつ行ってるの。

「いや違う。すまない、かふぇ、もか、くるみ、犬カフェのみんな。みんなのことは、大好きなのだ。ただ、一匹とて自分の家の子にならない事実が、俺をかように苦しめ続けているのだ……」

 ……かふぇ、もか、くるみというのは、犬カフェの犬たちの名前かな。
 要は、ペットの犬がほしいけど家庭の事情かなにかで飼えないから、犬カフェに通ってて、でもやっぱ自分だけのペットの犬がほしい……ってこと?

 ……どうしよう。雨宮星夜さん、想像以上に、俗っぽい。

「天使……」

 彼は、私の胸の毛に顔をうずめて、深く呼吸をし始めた。
 そのまましばらく……だいぶ長い時……深く、深く……呼吸をしていた。
 まるで犬の身体をまるごと吸うかのように……。

 ……私は悟る。
 このひとは、本物の犬好きだ……。

 どうでもいいけど……天使って語彙、鬼神族の辞書にあったんだ……。

 雨宮星夜はやっと私の胸毛から顔を離した。
 と、思ったら、今度は背中や耳の裏のにおいをくんくんと嗅がれる……さすがに、ちょっと恥ずかしい。

 ……と、いうか。
 これって、修羅と呼ばれる鬼神の長、雨宮星夜の――見てはいけなかった一面なんじゃないの?

 彼はひと通り私の全身のにおいを堪能すると、よしよし、と優しい声で言いながら私の頭を撫でた……撫でるツボがわかっていて、正直、気持ちいい。
 耳がくたりとなってしまって、ちょっと、とろんとしてしまう……尻尾が軽くぱたぱたと自然に動き出す。
 気持ちいいと、身体が勝手に反応してしまうのだ……。

「気持ちいいのか。可愛いやつめ、愛いやつめ。ちゃんと元気になるまで、大事に、大切に、丁寧に手当てをしてやるからな。安心しろよ……」

 怪我をして、血を流したせいもあるのだろうか。
 こんなときなのに、少し……とろんとしてきた。

 眠くなるなんて。こんな、危機的状況なのに、ああだめだ、……とろりと、心地よく力が抜けていく。

「よーしよしよし、眠たいか。このまま俺の膝の上で寝ることを許そう……この俺の膝の上で眠れるなど、特別なのだぞ……」

 声が、まるい。
 上品なチェロみたいに、耳に響く低い声。
 深い森のようで、どこか甘くもある匂い。

 油断なんか、しちゃいけない。しちゃいけないのに――私は自然と彼の膝の上で目を閉じ、彼にゆっくり撫でられるのを感じながら、心地よい眠気にまかせて自然と目を閉じていた。