ひとの話し声が足音とともに近づいてきて、目が覚めた。
 ぴくん、と私の右耳は自然と動いていた。

 あたりは暗い……まだ、夜のようだ。

 男のひとの話し声が、ふたつ。
 主人と従者のような話し声だった。

 主人と思われるひとの話し方は、簡潔でひどくぶっきらぼうだった。

 ふたりは部屋の目の前まで来たようだった。
 私はうっすらと目を開ける。障子はいつのまにか閉められている。
 さっきより更に一段階落とされた照明。ふたつの人影が障子に影絵のように照らし出されていた。

「神参山の天狗の一族だが、手筈通りに」
「かしこまりました。……手加減は、もう、ほんとうによろしいのですね」
「そうだ。二度と鬼神に対して不届きな意を示さぬよう、懲らしめろ」
「承知いたしました……」

 ん?
 神参山、って。……いまニュースになっている、あの神参山?

 鬼神族と天狗族が正面衝突しそうだという――。

「……後は、下がって良い」
「かしこまりました。おやすみなさいませ、星夜様……」

 その名前に、今度は左の耳が、ぴくんと勝手に動いた。

 ――えっ、ちょっと待って。
 星夜って……まさか。

 鬼神の一族の若き長、ニュースや社会情勢には疎い私ですら知っている、あの雨宮星夜とおんなじ名前だけれど――まさか、そんなの、まさかね。

 神参山だの、天狗だの言っていたけれど……偶然だよね、関係ない他人だよね!

 星夜と呼ばれていた男性が部屋に入ってくる。
 ……犬としての小さい心臓がこれでもかというほどばくばくする。

 私はとりあえず男性のほうに背中を向けて、いかにも寝ていたところです、とでもいうふうに丸まった。
 いま人間の身体だったら、汗がだくだく出ていたところだろう。犬の身体では汗がかけない代わりに、ハァハァと、やたらに呼吸が荒くなっていた。

 ……で、ハァハァと呼吸をしていたら、寝ているとは思ってもらえないことを、なぜだか私は気がついていなかった。

「犬よ……」

 ニュースで聞くのと同じ、重々しくて、迫力に満ちた声。
 背中がびくんと動いてしまった。やばい。これ、明らかに私に話しかけてきてる……私というより、一匹の犬にってことだろうけど、それでも!

 お姉ちゃんの言葉を思い出す──。
 私のような、いわゆる「呪い持ち」は――それだけであやかしたちに狙われてしまうから、隠しておかなければならない、って。

 この状況……まずいんじゃないの?

「目が覚めたのか」

 やばい。やばい、やばい、やばい。
 呼吸が更に荒くなる。

 絶対に振り返れない、と思ったのに。

 ガタガタと音がしたと思ったら、上から両腕が降ってきた――檻の天井部分が外されて、男性が檻に手を突っ込んできたのだ。

 前足にめいっぱい力を込めて格子にしがみつこうとした、私のせめてもの努力もむなしく。
 犬としては大きめとはいえ、小学校低学年くらいの子程度の身長と体重しかない私は、そのまま持ち上げられてしまった。

 立ったまま、私を抱き上げている彼の顔。
 紅い、瞳が間近で私を見ていて――確信した。
 
 ニュースでよく見る、ほんとうにきれいな顔……。
 間違いなく……雨宮星夜だ、って。