――気がつくと。
 まず真っ先に、畳の匂いがした。

 ぼんやりと目を開ける。
 どうやら、ここは和室のようだった。

 和紙でできた照明が背の低い机の上に置かれていて、部屋全体に柔らかい光を放っている。月光のように、幻想的に。
 私は赤い格子の檻に入れられているようだ。
 格子越しに、見えるかぎりの景色を眺める。

 障子は開け放たれていて、立派な日本庭園が見える。池が、満月に近くなった月明かりに照らされている。
 涼やかに川の流れる音。……豊かに潤った水の、清冷な、よい香り。

 深い森にも似た景色だった……庭園の向こうはうっそうとした木々に覆われていて、ほっほうと、何かの鳥の柔らかい鳴き声が聞こえる。

 すぐそこに見える自然の豊かさとは対照的に、和室の内装はシンプルだった。
 床の間には、繊細な筆致で描かれた星空の画の掛け軸。その下に置かれた重厚な花瓶には、真っ赤な花がひと挿し活けられている。部屋の隅には、小さな机と座布団。机の上には何冊か、難しそうな分厚い本が並んでいた。中には、近代以前の書物と思われる巻物のような本もある。
 押し入れの襖はきちんと閉められていた。中には寝具が入っているのかもしれない。

 ひとひとりぶんの、さっぱりとした……というか、どこかひとりで完結したような暮らしを想像させる部屋だった。

 ――それよりも。
 私は、そうだ、車に轢かれて……そのあといったい。

 横たわった身体のまま、前足を動かしてみると、丁寧に巻かれた包帯に気がついた。後ろ足にも、お腹にも巻かれている。全身の毛には茶色いしみが残って、ごわごわしていたけれど、たぶん、出血して汚れた毛を拭き取ってもらえたのだろう。
 痛みはあったけれど、手当のおかげか、さほどでもなかった。でも……起き上がろうとすると、ズキッと響く。

 檻も清潔そのものだし……。
 だれか親切なひとが、車に轢かれて倒れていた犬を拾って、手当してくれたのだろう。

 だとしたら……助かった。
 文字通りの、命の恩人だ。
 あのまま道端で、犬のすがたのまま、命を終えていたっておかしくなかったのだ。

 そして、もし手当してもらえたのならばほんとうに助かった、のだけれど。
 それはそれとして――非常に困った事態となったのも、事実だった。

 当然だけれど、私を拾って手当してくれたひとは私が犬だと思って拾ってくれたわけで。
 この親切さを見るに、犬好きなひとなのかもしれない。首輪もつけずふらふらしていた犬を、ではこの機会にうちの子に、みたいな感じで飼おうとしていることも考えられる。

 しかし私は人間なのだ。
 自分の意志とは関係なく、七日目の明け方には人間に戻るのだ。

 そのときには、私の秘密がバレてしまうだけではなく――ペットとして家に迎えようと思っていた犬が実は人間だった、なんて要らぬ衝撃を与えてしまうことになるだろう。
 どうしよう。すごく恨まれて、私の秘密をカードに、なにか脅されたりしたら……。

 それはさすがに考えすぎかもしれないけれど……やっぱり、困ったことになったのは確か。
 とはいえ……いまは犬の身体になってしまっている私に、人間のままの思考で悩む以外に、できることはないのだった。

 身体を何度か起こそうとしては痛くてまた横たわるという、まったく無駄な行動を繰り返し――結果的に私が選んだのは、潔く諦めて寝る、という選択肢だった。