「明後日からシフトが入っていると申していたが、それについてはこの俺が店長と話をつけておこう。安心しろ、悪いようにはしない。歌子にとっても店にとっても」
「星夜と店長って、たこれこの本社を買収したいま、どういう関係なの?」
「本当に、とことん星夜様に失礼な女だな……星夜様は、夜空グループの名誉会長。たこれこはいまや、夜空グループの傘下となった。本来であれば直々に話などできない関係だ」

 下っ端の下っ端の下っ端の下っ端……みたいなイメージだろうか。
 巻き込まれた店長には、なんだか申し訳ないけれど……。

「貴様の願いを叶えるのに、不足はあるか、歌子。あれば何なりと言え」

 私は慌てて両手を振った。

「いえいえ、もう、充分です。学校に通えて、バイトも続けられるなんて……」

 充分すぎるほど、充分すぎて……。
 むしろ実感が湧かない。
 ずっと焦がれてきた願いが、こんなにもあっさりと実現するなんて夢みたいで……。

 私の気持ちは、もうほとんど、傾きかけていた。
 ……だって星夜の言うことは、きっとかならず、嘘じゃない。
 私の願いを――かなえようと、してくれている。

 私はもちろん、人間だ。
 犬ではない。

 けれど、犬に変身してしまう人間であるのも確かで。
 そんな時間が私の人生のおよそ四分の一という、けっして少なくはない時間を、占めていて。
 人間としての私の生活にも強く影響を及ぼしていて……。

 鬼神族のもとで暮らすことに、緊張しないと言えば嘘になるけど……。

 ……犬の私に、星夜はすごく優しかった。
 いっしょに過ごす時間も、快適で、心地よかった。
 そして──自分でもずっと目を背けていた願いを、かなえてくれた。

 ……でも。
 私はちらりと、お姉ちゃんを見た。

 お姉ちゃんは、うつむきがちに――複雑そうな表情をしている。

 ピコンとスマホの通知音が鳴った。
 暮葉さんのスマホのものだった。

「失礼します。おそらく、たこれこかと」

 暮葉さんはスマホを開く。

「星夜様。買収の件がさっそく速報にて全国的に報道されたと、たこれこの社長――いえ、元社長より報告です」
「そうか」

 星夜は興味がなさそうだったけれど、お姉ちゃんはリモコンを手に取ってテレビをつけた。

 テレビで流れているのは、朝のニュース番組。
 夜空グループがたこれこを買収した、と。たしかに、速報のニュースになっていた。
 新宿にあるという、たこれこ本社……いや、元本社と言わなきゃなのかな。ビル群のなかでも一際目立つ、大きなビルが映し出されている。

 お姉ちゃんは、黙って、テレビの画面を眺めていた。

「……ほんとうに、歌子のためだけに、やってくださったんですね」

 確認するかのように、お姉ちゃんはぽつりと言った。

「ああ。もちろんだ」

 そして星夜は、あっさりと即答し、肯定する。
 お姉ちゃんは、星夜のほうに向きなおった。

「……歌子のためなら、ほんとうになんでもしてくださるんだって。大事に思ってくださっているのかもしれないってことは、伝わりました。でも、やっぱり……急に、別々に暮らすなんて……歌子はまだ、十六歳の子どもなのに……」
「叶屋歌子の家族――叶屋舞子。貴様は先程申していた。歌子が呪いを発動させたとき、歌子のために、進路を変えたのだと」
「え、はい……それがなにか?」

 お姉ちゃんの戸惑いも構わず、星夜は堂々に対して話を続ける。

「十七歳と申していたが、高校二年か、三年か」
「三年生でしたけど……」
「もともとの進路というのはなんだったんだ」
「……深く考えてはいなかったんですけど、就職しようと思ってました。歌子も寿太郎も小さかったですし、お父さんとお母さんの仕事も経済的に安定しているとは言えないので、私が家計を支えようと思ってました」
「しかし大学受験をしようと思い立ったわけだな――貴様にはその際、大学を受験するにあたってどれだけの時間が残されていた?」
「えっと……歌子は、私が十七歳の高校三年生だった五月に、呪いを発動させたんです。だから一年ありませんでした」
「急に進路を変えて、周りから反発もあったんじゃないか」
「それは……ありました。私、実は、高校までは勉強があまり好きじゃなくて。もちろん就職するお友達全員がそうだったわけじゃないんですけど……私は、もう勉強したくないって気持ちもありましたから。学校の先生からも言われました。あなたには大学進学は少し難しいんじゃないか、って」

 星夜は、なぜだろうか、お姉ちゃんの話にじっと耳を傾けていた。