「そうか。では幽玄学院高等部に通いながら、そのアルバイトとやらも続けるといい」

 星夜はあっさりとそう言った。

「あ、あの……私のお話、ちゃんと聞いてくれてました? もちろん、それができるなら一番いいですよ……でもそうなると結局、学校との両立が無理って話なんですけど――」
「そのCDショップとやらの名前を教えろ」
「え? えーっと……『たこれこ浅草橋駅前店』ですけど……」

 暮葉さんが星夜に小声で言う。

「たこれこと言えば、CDショップの大手チェーンですね。しかし本社直営店は限られています。浅草橋駅前店というのは、おそらくフランチャイズかと。近年、たこれこは生き残りを賭けて柔軟なフランチャイズ経営に舵を切っております。CDの需要低下による業績悪化を受け」
「そうであれば、なおさら問題のない話だな。やってしまえ。……向こうにとって、もっとも良い条件を出してやれ」
「……かしこまりました。少々、お待ちを」

 暮葉さんは、ほんの少し呆れた感じで――しかし慣れた様子でスムーズに、立ち上がってスマホを出して廊下へ行き、すぐにだれかと話しはじめた。

「言っただろう。貴様の望みであればなんでも叶える、と」
「ど、どういうことですか……?」
「暮葉は強いだけではなく、秘書として夜澄島でもっとも優秀だ。あいつの手腕であれば、俺の代理としてすぐに話をまとめるだろう」

 星夜はそう言うと、お茶を上品な所作で飲んだ。

 暮葉さんが廊下で話していたのは、ほんの数分のことだった。
 ほっとした面持ちで戻ってくる。

「交渉成立です。今回は、星夜様のお手を煩わせることもなく、安堵しました」
「そうか。ご苦労」
「え、えっと……なにをしたんですか……?」
「たこれこ本社を買収した」
「ほ、ほ、本社を、ば、ば、買収。ほ、ほんとですか……?」

 手で口を押さえるのは、お姉ちゃんだ。
 星夜が幽玄学院の名誉理事長だと聞いたときも、こんな感じだった……。
 お姉ちゃん。大丈夫だろうか。興奮しすぎて倒れてしまうんじゃないだろうか。

「星夜様を疑うのか。この方にかかれば、できないことなどないに決まっておろう」

 暮葉さんは相変わらず不機嫌そうに、椅子に座ってため息をつきながらお茶を一口飲む。

 本社を買収――すごそうだってことくらい、十六歳の私にだってわかるのだけれど。

「……お姉ちゃん。本社を買収って、そんなにすごいの?」
「な、なに言ってるの、すごすぎるに決まってるじゃない! あのね歌子、たこれこっていうのは大きな企業なの。そういう大きな企業を買収するっていうのは、もっともっと大きな企業じゃないとできなくて、しかもそんな簡単に話がまとまるなんて、普通はありえないのよ――」

 あわあわと落ち着かないお姉ちゃんに、暮葉さんが言う。

「向こうは、ぜひとも喜んで、と涙を流さんばかりの勢いだったがな。あの夜空グループの一員になれるなんて、しかもこんなに良い条件で、と。喜んでお受けする、と」
「も、もしかして、あの夜空グループって鬼神のみなさんが運営されてるんですか?」

 夜空グループ。
 私でも聞いたことがある……よくテレビやスマホの宣伝でも見かける。
 銀行とか商社とかメーカーとか、とにかくいろんな会社があるんだなあという印象だ。

「星夜様は、夜空グループの名誉会長でいらっしゃる」
「よ、よ、よ、夜空グループの、め、め、め、名誉会長……」

 お姉ちゃん。やっぱり、倒れそうだ。

 お姉ちゃんの興奮ぶりとは対照的に、星夜はつまらなそうな顔をしている。

「先々代の時代に、夜澄財閥を解体し夜空グループと改名した。鬼神族は人数が少ないから、いまでは仕方なく人間や他のあやかしも運営に入れている。純然たる鬼神族の運営とは言えない。……役職とて、これも先代の役割を継いだだけのこと」
「ですが、星夜様がいらっしゃらなければ夜空グループの運営がままならないことも、事実でございます」

 当然のことを言うな、とばかりに星夜は黙り込んだ。
 暮葉さんは対照的に、自慢そうに私たちを見てくる。

「これで、たこれこは晴れて夜空グループの一員だ。大変光栄に思っているだろう。じきに全国ニュースでも報道されるだろうから、楽しみにしてるといい」
「暮葉。余計なことを言うな。歌子がアルバイトをしやすくなるために、行っただけのこと」
「はっ……失礼いたしました」
「あ、あの、えっと……」

 もちろん、頭ではわかってはいたのだけれど。
 怖くて訊けなかったことを、でも、うやむやにはできないと思って――私は星夜に向かって、口を開いた。

「もしかしてほんとに、私が学校に通ってもアルバイトを続けられるためだけに――わざわざ、たこれこの本社を買収したの?」
「そうだ」

 そんな質問にも――星夜はあっさりと、肯定を返してくる。
 まるで、なんでもないことだと言わんばかりに。