「叶屋歌子の家族。貴様は何か誤解しているようだ。俺は、叶屋歌子を夜澄島の宝として迎え入れ、この上なく、大切に扱う」

 ――夜澄島の、宝。

「ただの道具として扱うつもりなど毛頭ない。お上の与えてくださった、霊力を高める神聖な恵みたる白犬として、それはそれは丁重に扱う。叶屋歌子の望むものならなんでも与え、望むことならなんでも叶える」
「でも、歌子は犬じゃないんです。この子は、人間なんですよ」
「望みとあらば、人間として扱う」
「えっ、いや。飼い犬として、って言ってたのに――」

 口を挟もうとすると、ぎろり、と星夜はこちらを睨んできた。
 ……はいはい。黙ってろ、ってことね。

「望むものなら、なんでもと言っても。歌子は、私たちの家族です。離れて暮らすことなんて、できません」
「貴様の父母は、家族と離れて暮らしているのに――か?」
「それは、だって。父と母は、仕事ですから。それに父と母は大人です。歌子はまだ十六歳なんですよ」
「俺は十六のときには既に、夜澄島の長として鬼神族全体の指揮をしていた。親と別々の家に暮らすようになったのは十二のときだ。あやかしはみな、そのくらいの年齢にはとっくに自立している。十六など、遅いくらいだ」
「あなたがたあやかしは、そうなのかもしれませんね……。けれど歌子は、違います。あやかしでも何でもない、ただの人間なんですから……」
「ただの人間ではない。稀少な、呪い持ちだ」

 星夜はこちらを見た。
 私に問いかけるような顔だった。

「叶屋歌子。望みがあれば、言ってみろ。俺がそれを叶えてやるから、ともに夜澄島に来い」
「……急に言われたって、なんにも思いつかないですよ」
「本当か? 叶えたい望みのひとつやふたつくらい、あるだろう」
「いえ……ほんとに。ありません……」

 ――本当に?
 もうひとりの自分が、問いかけてくる。

 犬のすがたで車に轢かれて死にかけたとき、私は、思ったはずだ。

 ああ。なんにもない人生だったなあ――犬に変身してしまうという体質のせいで、青春も、輝かしい未来も、……なんにもつかめずに……。

 そう、思ったはずだ。

 呪いのせいで、私が得られなかったもの。
 みんなみたいに当たり前に、学校に通うこと……自分の未来を自分で選んでいくこと……。

 ……高校に。
 行ってみたかった。
 みんなみたいに――。

 ……でも。
 私は、膝の上に両手の拳を置いて握った。

「……ほんとに、なにもないです。望みなんて」

 いま、ここで私が望みを言ったら、星夜はそれを叶えようとしてしまうだろう。
 そうしたらきっと、お姉ちゃんが困る。
 お姉ちゃんの言う通りだ。私はまだ、子どもで。家から離れて暮らすなんて、できっこないんだから……。

 ……ふっ、と星夜が笑った。
 人間の私に向けてくる冷たく厳しい雰囲気ではなく――犬だった私に向けてきたような、どこまでも柔らかく、温かい感情が、隠そうとしても漏れ出てあふれていた。

「犬の耳が、うなだれている。……しゅんとしている。想いを隠しきれていない――素直に感情を表す、犬、そのものだ」
「えっ? い、いや、これはそういうことではなくて……」

 本当は、そういうことだ。
 犬の耳も尻尾も感情に合わせて、自分の意志とは関係なく勝手に動いてしまう……実はいま、尻尾もうなだれている。

「……歌子。もう一度、問うてやる」

 あ、下の名前をそのまま呼ばれた――。

「本当に、叶えたい望みはないのか?」
「……私、私は」

 ああ。
 お姉ちゃんが困るって――わかっているのに。

「……学校に行ってみたい」

 なんでも与え、なんでも叶えるなんて言うから。
 お姉ちゃんを、困らせたくはないのに。
 ついに……想いを、口にしてしまった。

「ずっと、ずっと、呪いが発動してから小学校も中学校もまともに行けなかった……私も、ほんとは毎日、みんなみたいに学校に通いたい。……高校に、行きたい」

 言葉にして、しまった。