星夜はそう言って、右手から物騒な紅い球を消してくれたけれど、その目から疑いの色は消えなかった。

「そうです。入谷(いりや)の住宅街で車に轢かれていたのを、助けてくれましたよね。傷の手当てをしてくれて、美味しいお粥、作ってくれましたよね。もふもふ、すーはー、してくれましたよね――」
「もういい」

 星夜は鋭く言い放った。
 普通であれば、恐れおののく場面なのだろうけれど――星夜の本性を知っている身からすると、あんまり、怖くなかった。
 このひとは、なにかを誤魔化すときに強気にならずにはいられないのだ……。

 星夜は無表情だった。
 いや、無表情を装っていると言ったほうが正しい――かなり、困惑しているのだ。

「貴様の言うことを完全に信じたわけではないが、たしかに、それは俺があの白い犬に贈った首輪だ」
「そうでしょう?」

 私は右手で、ぐいと水色の首輪を持ち上げた。
 この首輪。大型犬用で、しかも苦しくないよう余裕をもって作られているので、人間の身体になっても持ち上げられるくらいには余裕がある。

「……なるほどな」

 星夜はあごに手を当て、なにか納得しているようだった。

「つまり、あの白い犬が俺の愛情に感動して、人のすがたになって恩返しに来たと――」
「違います」

 それでは、もともと犬だったことになってしまう。
 逆だ、逆。
 恩返しをしたいのは本当だけれども。

 こうなったら、隠してはいられない。
 犬に変身する体質のことも。呪い持ちのことも。
 もともとは人間なんだと、わかってもらうために。

 ……はあ。
 それにしても、やっとしゃべれる。
 犬のすがただと、しゃべることもできなくて……。

 朝はゆっくりとやってくる。
 夜澄島も起きはじめているけれど、ここ数日、白い犬との散歩のために時間を取っていたせいか、星夜には私の話を聞ける程度の余裕はあるようだった。

「話は理解した」

 話を聞き終わると、星夜は妙に納得した様子だった。
 相変わらず、犬のすがただった私に向けるような優しさは、微塵も感じないけれど……すくなくとも、こちらを警戒するのはやめたようだった。

「わかってくれましたか」
「ああ。貴様はこのまま、夜澄島で暮らすがいい」
「ええ、そうですね、ひとまず帰らせていただきます。助けていただいたお礼はもちろんいたしますので、のちほど――って、え?」

 いま、このひと、なんて言った?

「いったん自宅に戻るのは許可してやろう。家族に事情を説明し、荷物を持って戻って来い。持ってきたい物だけでいい。人間ひとりが暮らす程度の物、夜澄島にはすべて揃っている」
「……ええっと。いや。いやいやいやいや」

 なんで、そうなる?

「私のお話、聞いてました? 私は犬ではありません。ひと月に一度、犬になってしまうだけの人間なんです」

 星夜は、説明する必要はないと言わんばかりにぎろりと私を睨みつけたが、私だって説明もなしにこのまま夜澄島で暮らすなんてできるわけない。
 負けじと星夜を睨みつける。

「せめて説明してください。そうでなければ、私はこのまま帰らせていただきます。戻ってはきません」
「勝手に生きて帰れるかと思うか。そうするというのであれば、いまここで貴様を頭から喰らってもよいのだぞ」
「はあ……。もともと、鬼神様のおやつにされるかなと思ってましたので。どうしてもとおっしゃるのであれば、どうぞ」

 星夜は黙り込む。
 このひと……。だから、はったりが下手すぎるんだよね。
 鬼神族は人間なんか食べないって、私はもうわかっているのに。
 星夜のはったりは、鬼神族の長だという立場と、持って生まれた迫力だけでどうにかなってるようなもんだ。

 私は星夜を睨み続ける。
 尻尾が感情に合わせて、自然にぴんと硬くなる。

 やがて。
 星夜は、重たそうに口を開いた。