鬼神の愛犬になりました

 星夜にたっぷり可愛がられながら……。
 夜澄島での平穏な日々が続いた。

 星夜は天狗族との争いが厳しい状況のなかでも、私をかまい続けた。
 星夜は一匹の白い犬と過ごす時間が、ほんとうに好きなようだった。
 デレデレして、にこにこして、とろけそうだった。

 車に跳ねられた傷は、信じられないくらいすぐに癒えた。
 お粥や傷薬が、鬼神族の特別製だったのかもしれない。

 初日に檻に入れていたのは、傷がまだひどかったこともあって、衛生管理の面でも必要だったのだろう。
 二日目からは、星夜の布団で一緒に寝ることになった。……彼の熱烈な希望で。

 夜はあたたかい布団のなか、星夜のとなりで寝る。
 寝るときかならず、星夜は私の頭を撫でる――愛しい恋人に、そうするみたいに。

 星夜は、その日にあったことを私にしゃべってくれる。

 天狗族との戦い。妖狐族との結託。雪女たちとの交渉。
 他のあやかしたちや、人間との関係も……。

 鬼神族の長という立場が、どれだけ多忙極まる立場なのかわかる。
 そして――修羅に徹しなければ、やっていけない立場なんだ、ということも。

 ……遠く、関係のない有名人として見ていたときからは、ずいぶん印象が変わる。

「争いは避けられない。だが。争いなど、すべてなくなってしまえばいいのにな」

 私と過ごすときの星夜の声は、まるくて、ぽつぽつと傘に落ちる雨だれみたいに優しく響く。

 愚痴でも。本音でも。
 だれにも言えないことを、ぽつぽつと語ってくれて、おやすみと、私のおでこに軽く口づける。

 人間離れした、美しい容姿の彼に、至近距離でそんなことをされて。
 どきどきしないと言ったら、そんなの嘘になる。

 私が人間だ、とバレたら大変だ。
 それに、家族も心配しているに違いない。
 だから私は、逃げなければならなかったのに――結局、それはできなかった。

 現実的な難しさももちろんあった。
 星夜の部屋から出ることさえ難しい状況だ。夜澄島から脱出するなんて、無理だった。

 けど……。
 私は本当に逃げたかったのか。それさえも、わからなくなってきた。

 そうして、日々は過ぎていって。
 そして、私が人間に戻る明け方が近づく。

 ……もうこうなったら仕方ない。
 覚悟を決めるしかない。

 せめて気力をつけておこうと人間に戻る前の夜のお粥は、しっかりと食べておいた。
 星夜がつくってくれたお粥は、相変わらずとても美味しかった。
 はふはふ食べる私の頭を、彼はやっぱり優しく撫でてくれたのだった。

 完全な犬の身体で過ごす、最後の日。
 眠る前。電気を消したあと。
 星夜はふと、切なそうに言った。

「おまえの引き取り手も、そろそろ探さなければ。ずっと手元に置いておきたいが……かなわぬ夢だ」

 彼は、私の全身を強く抱きしめた。

「離したくない……」

 全身を抱きしめられていては、朝になって人間に戻ったとき、もう絶対に逃げられない。
 私は、じたばたして彼の腕から抜け出るべきだったのかもしれない。

 けれど、もう今更という感じがして――私は、なされるがままになっていた。
 ……もう、しょうがない。眠ろう。

「おやすみ」

 星夜はいつも通り、私のおでこに軽く口づけた。

 星夜と私は、同じ布団であたためあって、眠った。
 緊張で眠れないかと思ったけれど、そんなこともなく。
 あたたかくて力のある腕のなかで、私は眠りに落ちていった。

 人に戻って、この日々が終わるのは……ちょっと、名残惜しいなと思いながら……。
 だって、星夜は、犬の私に……いっぱい、いっぱい優しくしてくれて、甘えさせてくれたから……。