「夕樹!」
「なーに、お兄ちゃん。いまからこの子とボールで遊ぶとこなのに」

 夕樹さんは途端に怠そうに暮葉さんを見る。

「星夜様がいまからお部屋に戻ってこられるのだ。犬の様子を見るために。まだ午前のお仕事を始められてから、そんなに時間も経っていないというのに!」
「えっ、じゃあみんなでこの子とボール遊びしようか?」
「それどころじゃない! 天狗族との戦況はおまえもわかっているだろう。おまえの通う幽玄(ゆうげん)学院が休みになるほどの事態だ」
「まあ、なかなかにないね。僕的には休みになってラッキーだけど。天狗の同級生、ムカつくやつばっかだし」
「この忙しいときに星夜様に犬などに構われていては、困るのだ! いいか、いますぐその犬を寝かしつけて檻のなかに入れて構えない状態にしてだな――」
「ええっ、無理だよお、そんなの――」

 そのタイミングで。
 当の星夜が戻ってきた。

 暮葉さんは、明らかにどんよりとした。
 夕樹さんは対照的に、ぱっと顔を輝かせる。

「あっ、星夜様。これからこの子とボール遊びをするところだったんです。一緒にどうですか?」
「……ふむ」

 星夜は、おごそかに言った。

「この子は非常に賢いからな。ボールをとってくるくらい、朝飯前だ。……そのボール、少し貸してみろ」
「いいですよ」
「星夜様。お仕事がまだ残っております」
「しかし本日の仕事は早めに終わらせた。次は雪女たちとの会談だろう。予定以上の仕事をする必要もない」
「それは、そうですが……はあ……犬さえいなければ、貴方さまはどんどん仕事を終わらせて、次へ次へと取り掛かるのに……犬がいるから……」

 うん、なんか、ごめんなさい……とは思ったけれど。
 それは本当は、私ではなくて星夜が思うべきことだ……。

 そして。
 予想に反して、ボール遊びは楽しかった。

 犬の本能なのだろうか。
 わからないけれど。転がされたボールを追ってはくわえ、持ってきて、もう一度投げてもらって、追って……という一連の繰り返しは、意外にも飽きなかった。

「えらいぞ! おまえは天才だ!」

 ボールを持っていくたび、星夜もめちゃくちゃ褒めてくれる。

 思えば、ボールで遊んだのなんていつぶりだっただろうか。
 学校の授業や休み時間に、同級生たちとボールを追いかけた日々が懐かしい。

 中学を卒業してから、もう半年以上の時間が経ってしまった。
 バイトに行って帰って、変身するだけの日々に、そういえば……ボール遊びなど入り込む余地は、どこにもなかった。

 暮葉さんに「そろそろさすがに、星夜様」と何度言われても、星夜と私は夢中になってボール遊びを続けたのだった。