「あらあらあら。そのように睨まないでくださいまし。あたくしのような弱い者は、震え上がってしまいますのよ?」

 言葉とは裏腹に、黄見さんという鬼神の女性は、余裕の表情だった。

「すでに暮葉と話はつけてある。里親に出す予定でいる。だが、怪我がひどいのだ。治るまでは、うちに置きたい」
「あら、そう、暮葉さんと。でしたら、あたくしめが申し上げることなど、なんにも御座いませんでしたわね。……ただ、そちらの可愛い御方、野放しにしておくのは可哀想ですわよ? 首輪もなければ、どこへと失せてしまうかもわかりません」
「犬は賢い。とりわけ、この子は賢いのだ。ここで待っていてくれと言えば、わかってくれている」
「……それはねえ、まあねえ、若当主様は黒き修羅でありながら、獣のことさえ信じてしまうほどお優しき心をお持ちですから。うふふふふふ」

 犬に言葉が伝わるわけないだろうと、言いたいのだろう。

「しかし、家には獣の苦手な者も多くおります。少しの間であれそちらの可愛い御方を家に置かれるのであれば、せめて首輪や紐などつけますように、そして躾もしていただきますように、あたくし使用人頭としてお願い申し上げます。……それでは、星夜様、お勤めがあるので失礼いたします」

 黄見さんは流れるようにお辞儀をすると、籠をかかえてすたすたと神社のなかへ歩いていってしまった。

「待たせたな」

 星夜は私を抱きあげる。
 右手で私の頭をさわさわと撫で、左手で顎やふかふかした胸毛を撫でてくる。

「……まさか黄見がいるとは。時間をずらして散歩に来たのだが……おまえの噂を聞き、わざわざ見に来たのだろう。怖い思いをさせてしまったな」

 黄見さんって、何者なんだろう……。
 私は星夜を見上げて、問いかけるように首を傾げた。
 星夜は何か私の気持ちに気がついてくれたようだった。

「黄見というのは、立場としては一応使用人頭だが、ただの使用人ではない。鬼神族のなかでも相当に長生きで、霊力が強いゆえ若く見えるが、俺の祖父の代から夜澄島にいる。黄見は裏から鬼神族を仕切っている……俺もあいつばかりは無視できないのだ。……伝統を守れ、鉄の掟を守れ、犬を飼うなと主張するのも、黄見が中心でな。あいつさえ説得できたら、俺も犬を飼えるようになるだろうが……」

 そうなんだ。
 黄見さん……どうも、すごいひとらしい。

「行こうか」

 星夜は気を取り直したように微笑み、私を抱っこして歩き始めた。
 そして首輪の話をし始める……。

「首輪、か。そんなこと言われなくとも、おまえに可愛らしい首輪をつけてやりたい。赤がいいか、桜色か……いっそ涼やかな水色などはどうか……リボンとフリルについても考えないとな……」

 さっき黄見さんが言っていたのは、そういう意味じゃないと思いますけど。
 ただ単に、犬がそのへんうろちょろしてたら困るからってことだと、思いますけど。

 ……首輪、かあ。
 このままいくと、普通に、つけられる流れになりそう。

 私は、ため息をつくこともできないから――すぐそばにある星夜の顔を、とりあえず見上げた。……星夜は、ただただデレデレしていた。

 散歩は気持ちよかった。
 夜澄島の清らかな空気と木々の気配を全身に受けて、身も心もすっきりして帰ってきたのだった。