「では、社の御前だ。俺は義務を果たして参るので、ほんの少しだけ、ここで待っていてくれるか。ひとりにさせてすまない」

 星夜は心底申し訳なさそうだった。
 大丈夫という気持ちを込めて、わん、と鳴くと、星夜は少しだけ安心したように微笑む。

「すぐに戻ってくる」

 星夜は私の頭をくしゃくしゃと撫でると、立ち上がって石造りの鳥居をくぐり、中にある小さな神社に静かにお参りしていた。
 その黒い後ろ姿を、見るともなしに見つめていると。

「あらあら。ほんとうに、可愛らしい御方がいらっしゃいました」

 高い声に振り向くと、そこに立っていたのは果物のたっぷり入った籠を持った女のひとだった。
 暮れなずむ空を思わせる藤紫色の下地に、桜の散りばめられた和服。すっきりとひとつにまとめた、艶のある長髪。驚きで開いた瞳は、深い藍色。
 そして、美形だった。若く見えるけれど、年齢不詳だ。

 彼女はこちらに近づくと、籠を抱えたまま目線を合わせてしゃがみ込む。

「うふふふ、若い衆が言っていた通り。ほんとうに可愛らしい御方。あらあら、視線を逸らされちゃった。怖くはないのですよ。この黄見(よみ)めは、見つめていただけなのでございますよ」

 ……それが怖くて視線を逸らしたのだ。

 お参りを終えたらしい星夜が戻ってくる。
 女のひとに気がつくと――星夜は、ぎょっとした顔を見せた。

「……黄見」
「お早う御座います、星夜様。我らが若当主様は、今朝も麗しゅう御座いますね」

 女のひとは立ち上がって、腰を深々折る挨拶をしてみせた。

「なぜ、この時間に此処に」
「あら、食事の御仕度が思いのほか早く済みましたので、先に供物のお勤めを済ませようと思いましたのよ」
「今朝はずいぶんと食事の支度が早く済んだのだな」
「うふふふ、水と空気がいやに澄んでおりましたの。それで、霊力を高める味つけが、普段よりもずっと手早く終わりましたのよ」
「なるほど……」

 霊力を高める味つけ……あやかしの食卓事情は、まだまだわからないことだらけだ。

「少しばかり早くお社に御邪魔してみれば……可愛らしい御方がいらっしゃるのですもの。あたくし、びっくりです」

 ……この、黄見って名前らしいひと。
 にこにこしているけれど――なんとも言えない迫力がある。

「先代の御当主様は、戦場と御使命だけをまっすぐにお見つめになられて、可愛い方々になど見向きもされませんでしたのに。時代は変わりますのねえ。……いえいえ、良いんですのよ。可愛い存在を可愛いと言って可愛がる。結構なことじゃ御座いませんの」

 星夜は黙る。
 暮葉さんに対しては沈黙で牽制していたけれど――それとはまた違う種類の沈黙だった。

 だけど、ただ一方的に言われっぱなしというわけではなく。
 星夜は、黄見さんを紅い瞳で睨みつけると、口を開いた。

「先代と俺は、違う。俺は、犬が、大好きだ」