暮葉さんの足音が、確かに遠ざかったころ。

「……争いなど、なくなってしまえばいいのにな」

 雨宮星夜は、小さくつぶやく――まばたきをしてその顔を見ると、雨宮星夜は小さく微笑んだ。

「俺は本当は、おまえのような犬を可愛がって生きられれば、それでいいのだ。鬼神族なのに、情けないだろう?」

 微笑む雨宮星夜の顔は彼の言葉と違い、情けなくなどなく、……とても美しかった。

「おまえに、名前をつけてやりたいが……怪我を治したあとには里親に出されるのだろうから、ふたつも名前があっては混乱するな。元気になったら、優しい里親に、いい名前をつけてもらえばいい。俺のように戦いの因果にとらわれた者より、平和に生きる里親のほうがずっと、ずっと……おまえにとっては幸せだろうしな……」

 雨宮星夜は、私に向けて微笑む。

「しかし、おまえは俺を呼びたいだろうな。言葉はしゃべれずとも、おまえたち犬は賢い生き物だ。俺のこともわかっているだろう。俺はおまえの主人にはなれないだろうから、ご主人様と呼んではならない」

 彼はそう言って、私の頭を撫でた。

「遅くなってしまったが、では、名乗ろうか。俺は雨宮星夜という。星夜、と覚えてもらえればよい」

 わん、と私は返事代わりに鳴いた。
 ……私の名前は叶屋(かなや)歌子(うたこ)といいます、とか、自己紹介することもできないわけだし。

「おまえは、俺のことを星夜と親しく呼び捨てればよい――わかったか? 愛しい犬よ。おまえは特別だ、ほんとうに特別だ。俺をそのように呼び捨てで呼べる存在など、おまえのような、愛い犬くらいなのだからな」

 ははは、と彼はやたらと明るく笑った。

 そういうことなら、まあ……心のなかでは、星夜、と呼ばせてもらおうかな。
 雨宮星夜、といちいちフルネームで呼ぶには、彼との距離が縮まりすぎている。すくなくとも、いまは。

「それでは、皿を下げてくるので、いい子にしているのだぞ」

 星夜は私の食べ終わったお粥のお皿を持って、台所へみずから下げに行くのだった。