突然のことになにが起こったかわからず、凛は固まってしまう。しかしなにをされたかを理解した瞬間、体が内側からカーッと熱くなった。

 ――い、いきなり頬にキスって。でも、夫婦ならこれくらい当たり前ってこと……?

 ドギマギしている凛を見て、伊吹は少し(あや)しく、色気のある笑みを浮かべる。それはとても(うれ)しそうな微笑みに見えた。

 ――本当に、私の血を吸わないの? どうして? だって、私の血はあなたにとって極上の味なのでしょう? それに、なぜ。

 ずっと誰からも必要とされなかった、夜血を持つことでやっと人並みになれたできそこないの自分なんかを嫁に迎えるというのに、なぜそんなに嬉しそうな顔をするのだろうか。

 ――変わった人……鬼なんだなあ。

 その後、伊吹に連れられて彼の屋敷に向かう道中、凛はずっとそんなことを考えていた。



 伊吹の屋敷は、洞窟から少し離れた場所にあった。だが、一瞬で到着してしまった。『これから俺の屋敷に行くぞ』と伊吹は宣言すると、凛を抱えて疾風のように駆けていったからだ。

 屋敷は平屋の瓦ぶき屋根の日本家屋で、建物の前には手入れの行き届いた日本庭園が広がっていた。

 松や紅葉が整然と並ぶ中に、鹿威(ししおど)しの鳴る池があるのが見えた。

 屋敷の周囲は林で囲まれており、他に建物は見当たらない。随分辺鄙(へんぴ)な場所だ。

 鬼の若殿なのだから、町の中心の豪邸にでも住んでいるのかと思っていたけれど、先ほどからどんどんイメージが覆されていく。

 凛は気持ちが落ち着かないまま伊吹に手を引かれて屋敷の中へと足を踏み入れた。