*
鏡の中に映る自分を見て、紅華はそっと髪に触れた。新しく整えてもらった髷は、オフクだ。おぼこい舞妓から、少しおねえさんになり、気持ちが引き締まると同時に、何か大切なものを失った気がする。
(今日のお座敷も松本様やったなぁ……)
贔屓にしてくれる旦那の顔を思い出しながら、紅華は立ち上がった。そろそろ男衆が置屋に来て、紅華に着物を着せてくれるはずだ。
今夜も紅華は祇園の鳥として舞い踊る。いつか籠の蓋を開けに来てくれる、恋しい人のことを想いながら――。
***
「それで大おばあちゃんはどうしたの?」
二十世紀の最後の年。平安神宮の大鳥居の下を歩きながら、ひ孫の美千代が問いかけてきた。
若い頃、紅華と呼ばれた舞妓だった華子は「そうやねぇ」と言いながら、空を見上げた。遥か何十年も昔、この岡崎公園一帯を使って催された博覧会に思いを馳せる。
紅華を祇園という籠から解き放つと約束をした敦とは、その後、二度と会えなかった。風の噂で、病にかかり、若くして亡くなったと聞いた。
紅華は何度か旦那を変え、日本画家として名を知られていた男性に、二十二歳で引かされた。その後は、東山に邸宅を与えられ、静かに人生を送ってきた。
夫は優しく、一男一女に恵まれた。孫も生まれ、その孫もまた結婚し、ひ孫の美千代は今ではもう十五歳だ。
「敦さんとは、それっきり。きっとどこかで幸せに暮らしてはると思うえ」
華子がそう言うと、美千代は不満そうに「えー」と唇を尖らせた。
「大おばあちゃんを迎えに来なかったなんて、その男、ひどい」
「敦さんにも事情があったんやろ」
むくれている美千代に、ふふ、と笑いかける。
「祇園はなぁ、大きな家族みたいなもんなんや。おかあさんもおねえさんもおにいさんも、誰の子やとしても、祇園の子供を大事にしはる。うちも、父親が誰か顔も知らへんかったけど、寂しいて思たことないえ」
「でも、大おばあちゃんは、祇園に閉じ込められてるように感じてたんやろ?」
美千代の言葉に、華子はゆっくりと頭を振った。
「だぁれも、うちのことを閉じ込めてへん。芸が好きで、自分で選んで舞妓になったんや。やめたい思うなら、やめれば良かってん。ただ、あの時は、どうしようもなく我が身が窮屈に感じられて……。精神が子供で、自立してへんかったんやろなぁ」
鏡の中に映る自分を見て、紅華はそっと髪に触れた。新しく整えてもらった髷は、オフクだ。おぼこい舞妓から、少しおねえさんになり、気持ちが引き締まると同時に、何か大切なものを失った気がする。
(今日のお座敷も松本様やったなぁ……)
贔屓にしてくれる旦那の顔を思い出しながら、紅華は立ち上がった。そろそろ男衆が置屋に来て、紅華に着物を着せてくれるはずだ。
今夜も紅華は祇園の鳥として舞い踊る。いつか籠の蓋を開けに来てくれる、恋しい人のことを想いながら――。
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「それで大おばあちゃんはどうしたの?」
二十世紀の最後の年。平安神宮の大鳥居の下を歩きながら、ひ孫の美千代が問いかけてきた。
若い頃、紅華と呼ばれた舞妓だった華子は「そうやねぇ」と言いながら、空を見上げた。遥か何十年も昔、この岡崎公園一帯を使って催された博覧会に思いを馳せる。
紅華を祇園という籠から解き放つと約束をした敦とは、その後、二度と会えなかった。風の噂で、病にかかり、若くして亡くなったと聞いた。
紅華は何度か旦那を変え、日本画家として名を知られていた男性に、二十二歳で引かされた。その後は、東山に邸宅を与えられ、静かに人生を送ってきた。
夫は優しく、一男一女に恵まれた。孫も生まれ、その孫もまた結婚し、ひ孫の美千代は今ではもう十五歳だ。
「敦さんとは、それっきり。きっとどこかで幸せに暮らしてはると思うえ」
華子がそう言うと、美千代は不満そうに「えー」と唇を尖らせた。
「大おばあちゃんを迎えに来なかったなんて、その男、ひどい」
「敦さんにも事情があったんやろ」
むくれている美千代に、ふふ、と笑いかける。
「祇園はなぁ、大きな家族みたいなもんなんや。おかあさんもおねえさんもおにいさんも、誰の子やとしても、祇園の子供を大事にしはる。うちも、父親が誰か顔も知らへんかったけど、寂しいて思たことないえ」
「でも、大おばあちゃんは、祇園に閉じ込められてるように感じてたんやろ?」
美千代の言葉に、華子はゆっくりと頭を振った。
「だぁれも、うちのことを閉じ込めてへん。芸が好きで、自分で選んで舞妓になったんや。やめたい思うなら、やめれば良かってん。ただ、あの時は、どうしようもなく我が身が窮屈に感じられて……。精神が子供で、自立してへんかったんやろなぁ」