「どうにも眠れなくて。あなたが近づいてくる気配も感じていました。ただ、自分は、どんな風にあなたに接したらいいのか分からなくて……」

 掛け布団を二つに折り、敦が立ち上がった。

「月でも見ませんか」

 紅華を誘い、窓辺へと移動する。紅華は、おずおずと敦に付いていくと、窓辺で正座をした。敦が窓を開けると、涼しい夜風が二人の頬を撫でた。月の光で、祇園の石畳が光っている。

「教授から『祇園に行く』という話を聞いた時、私も連れて行って欲しいと無理を承知でお願いしました。私は、今夜、あなたに会えることを期待していたのです」

 敦が、自分に会いたいと思ってくれていた。そのことが嬉しい。

「ただ、実際にあなたに会って、どうしていいのか分からなくなった。話をしたいと思っても、あなたが美しすぎて、近づく勇気が出なかったのです。私は臆病者ですね」

 敦は自嘲気味に笑ったが、紅華はその言葉に体が火照るのを感じていた。

「……おおきに」

 恥ずかしさでかすれた声で、小さくお礼を言う。紅華と敦はしばらくの間、黙ったまま見つめ合った。そろそろ何か言わなければおかしく思われると、紅華が口を開きかけた時、敦がふっと体を前に傾けた。内緒話をするかのように紅華の耳元に唇を寄せ、

「……あなたはあの日、自分は籠の中の鳥だと言いましたね。もし……もし、私が身を立てたなら、その時は、籠の蓋を開けに来てもいいでしょうか」

 と、囁いた。紅華が、はっと敦の顔を見ると、敦は優しいまなざしで微笑んでいた。

「あの日から、私はあなたの寂しそうな横顔が頭から離れませんでした」

「うち……うちも、鳥羽様のこと、ずっと考えておりました」

 人の役に立つ技術者になりたいと言った時の敦のまなざしは、紅華の心の中に鮮やかに残って、祇園に帰ってきてからも、忘れることができなかった。

(ああ、こういうのを、きっと『一目惚れ』と言うんやわ)

 敦と目があうと鼓動が早くなり、体が熱を持つその理由に気がつき、紅華は、ほぅと吐息をした。その色っぽい溜め息に、敦が息をのんだ。

「今すぐ、あなたを攫って行けたらいいのに。あなたに、広い世界を見せてあげたい」

「うち、待ってます。いつまでも、待ってます」

 敦は、紅華が膝の上で握った手に自分の手を重ねると、優しく開かせ、指と指を絡めた。二人のひそかな約束は、ただ、満月だけが聞いていた。