炎は音を立てて燃えあがり、城を飲みこんでいく。
 堅く閉ざされた本丸大手門の前で、戦支度を整えた夫は、馬上にあった。鴻江家が動きだすのをただじっと待っていた。
 城を代償に、弟の命を代償に、じっと待っていた。

 及び腰と言われるのは、忍耐のせいだ。

「逃げ出したのではないか」
 歩み寄る双葉姫を見て、彼は薄く笑う。

「逃げませぬ。わたしはあなたの室なれば」
「ぬかせ」
 重水家の若い主は言い捨てた。

 互いに相手のことなど見てもいない夫婦だった。
 だが、ひたすら何かを憎む心は、同じだった。このようなことがなければ、いつかは盟友としてあれたかもしれない。
 はたして、謀に身を砕く鴻江家と、重水家と、どちらがこの世を生き延びるだろうか。

「御方様」
 夫を守る兵の誰かが叫んだ。

 振り返ると、抜き身の刀を手に提げて、血まみれの紀昭が、そこに立っていた。

 やはり、追ってきたのね。

 暗い喜びが、姫の心にともる。気がついた時には、紀昭の刀が振り上げられていた。
 衝撃が走り、切りつけられた胸から、血が噴き出した。

「ひどいわ……」
 もらした声と共に、唇から血が滴り落ちる。

 もっと上手に殺してくれればいいのに。

「姫、この心はあなたの元に」
 紀昭は、愚直な言葉を口にする。

「ですが、わが身は鴻江の臣なれば。忠義は殿に」
 そうであろうとも。

 だからこそ、夫の謀もすべて話したのだ。必ず追ってくるだろうと思っていた。
 かわいそうな子。

 痛くて苦しくて、気がつけば地面に倒れていた。頬が冷たい土に触れている。

 どうしたいのか、もう分からない。何のために、誰のために、こうしてここに来たのか。ここにいるのか。わからない。
 姫自身も、この実直で憐れな男も。

 ただ、苦しめばいい。

 主家の姫を手にかけたこと。幼い頃から思い続けた相手を手にかけたこと。
 ただ見つめて何もしないお前を恨んだわたしと同じように、命ある限り恨み苦しめばいい。

 どうせもう、わずかな時であろうけれど。どうせなら生き延びて、苦しめばいい。

 だけど、思う通りにはならないだろう。
 紀昭はまっすぐに姫を見ている。

 逡巡も怒りもない。ただ悲しみだけがある。
 まぶしくて、嫌になる。

 長い年月何も口にせず、ただただ静かに姫を思い続けたのと同じに、この男は、ただ真っ直ぐに己の身を務め果たし、生きて死ぬだろう。今日討たれるか、主のために生き延びるか、分からないけれど。

 ああ、憎らしい。
 目の前が赤い。炎の色か、血の色か、分からない。


 光陰はただ過ぎていく。地に落ちたわたしはただ腐れるだけ。


                               終わり