私は、さっきまで彼女を一目見てどんな人なのか判断しようと意気込んでいたのに、その自信は翔ちゃんの前では呆気なく消えてしまう。それ以前に彼女がいるなんて認めないつもりでいたのに……
 私の心の防御率はゼロになっていく。

「うるさいからおまえもうどっか行けよ」

 手で押してお友達を退場させようとする。「へいへーい」おちゃらけるように彼は、軽く手を上げたあと笑いながら教室へと入った。

 あたりは、一気に静まり返る。

「あいつ、うるさくてごめんな」

 文章に余白を設けるように少しだけ間を置いたあと、翔ちゃんがぽつりと呟く。

「あ…ううん、大丈夫…」

 結んでいた唇をぱっと解放して、それだけを答えるので精一杯だった。

 私、一体何のためにここに来たんだろう。

 無駄な時間だけがカチカチカチ、と過ぎてゆく。

「美菜、俺になにか用だった?」

 不意をついたように尋ねられて、一瞬顔が強張ったのが自分でも分かる。頬が、鉛でも含んでいるみたいに上手く笑えない。

「あ…えっと、それは……」

 どうしよう。今までこんなことなかったのに。私、翔ちゃんの顔をちゃんと見て話すことができない。
 焦れば焦るほど、急速に口の中は乾いていく。

「私の付き添いです!」

 黙り込む私の代わりに香穂が横からずいっと顔を出して、声を張る。

 えっ、香穂……?

「私の好きな人がこの階にいたので美菜について来てもらってたんです!」
「あー、そうだったんだ?」

 私へ向けられていた視線は、自然と香穂へと移る。

「はい! でももう見れたので、そろそろ帰りますね!」

 私の手を取って握りしめる。

「ほら、美菜も先輩にばいばいしなきゃ」
「え、あ……」

 のどの奥に張り付いて言葉は一切出てこなかった。仕方なく小さく手をあげる。

「じゃあな、美菜」

 すると、翔ちゃんは薄日が差すような微笑みをわずかに浮かべたあと教室へと戻って行った。

 今までなら、『じゃあまたな』って言って頭ポンポンしてくれたのに、それは無くなってしまった。
 なんだかそれがたまらなく悲しくて、泣きたくなった。
 まるで植木を抜いたあとにできる穴のようなぽっかりした気持ちが、私を襲った──。