「どうだった?」
三階から帰還した私に真っ先に気づいた香穂が声をかける。が、私が握りしめていたシャープペンを目にして。
「渡せなかったの?」
「……タイミングが悪かった」
「タイミング?」
フラッシュバックのようにさっきの記憶が頭の中に浮かんでくる。
「翔ちゃんと……」
そこで口を結んだ。
〝彼女〟という言葉を使いたくなかったからだ。それを言ってしまえば、認めたことになると思った。
「倉田先輩と彼女が一緒にいたの?」
的を得たように的確についてきた香穂の言葉にピクッと眉が反応する。そのあと、結んでいた唇を少しだけ解いてわずかに下唇を噛んだ。
──〝翔平くん〟〝明日香〟
二人の仲睦まじい声が頭の中にリピートされる。
「……あんな人が翔ちゃんの……納得できない」
シャープペンをぎゅっと握りしめる。
「あんな人って?」
カセットテープを巻き戻すように、記憶を遡る。
背中まで伸びていた黒髪は一つで束ねられていて、スカートだって長めだったし、顔だってあまりパッとしない。
「あんまり目立つような人じゃないというか、じ……えーっと……素朴な感じの人?」
〝地味〟という言葉が口から出かけたけれど、あまりいい意味ではないようなので頭の中で辞書を引き言葉を変換する。
「ふーん、素朴な人かぁ……」
ほんの一瞬しか見れなかったから、〝明日香〟さんがどんな人なのか分からない。
「じゃあ名前は?」
「……明日香って呼んでた」
「倉田先輩が?」
「……うん」
優しい口調で名前を呼ぶ声が頭の中でこだました。それを思い出すと、切り傷が風に触れるように心が痛くなる。
「初めて見てみてどうだった?」
そんなの、悩むに値しない。
「……絶対に私の方が釣り合ってる」
なんの躊躇いもなく、口からこぼれ落ちた。
「どうしてそう思ったの?」
「どこをどう見ても私の方が上だもん……制服の着こなしだって外見だって、顔だって……翔ちゃんを好きな思いだって全部私の方が上」
小さい頃から近所のおばちゃんたちに、〝可愛いね〟って褒められた。小学校に上がったときだってクラスの人気者になって、ラブレターもたくさんもらったことだってあるしチョコレートだってもらったこともある。中学に入ると、それはますますヒートアップして呼び出されて告白なんか日常茶飯事だった。