平坦な道の終わりが見えていた。その道の先には、急な傾斜の、二百メートルほどの長い上り坂へとつながっている。そしてそこを上りきれば、同じような傾斜と長さの下り坂になり、そのふもとはもう目的の駅だ。

「私、降りようか?」

 坂の入り口に差しかかったところで、さくらがそう言った。さくらもこの坂を上りきるのがどんなに苦労するかを知っている。ひとりでさえ疲れるのに、後ろに人を乗せた状態では、その体力の消耗と辛さの具合は比にならない。さくらはもう降りる準備をしていて、足をぶら下げて地面すれすれまで持ってきていた。

 だけどぼくは自転車の速度を緩めなかった。むしろ加速をつけて、さらにスピードを上げた。

「ちょっと、ハル?」

 驚いたような、さくらの声。

「降りなくていいよ。そのままで、この坂、上りきる」

 ぼくは自転車のペダルをこぐ身体のリズムに合わせて、言葉が途切れ途切れになりながらそう言った。

「うそっ、無理だよ。私、重いよ?」

 慌ててさくらがぼくを止めようとする。だけどぼくは、その言葉を振り切るようにさらに足に力を込めた。

「重くない! いけるよ、このまま上りきる。だって、さくら歩かせたら、ぼくのいる意味がないじゃん」

 ぼくはずっと、考えていた。さくらに、何かしてあげたい。ぼくには彼女の不安を打ち消すすべは何もないから、せめてできる限りの何かを。

 だからぼくは上りきる。さくらを後ろに乗せたまま、さくらを絶対に疲れさせない。そのためにぼくは、彼女を送っていくんだから。

 上り坂を走る自転車の安定度がふっと増した。ぼくは前を見ていることしかできなかったけど、たぶん、さくらが地面に下ろしかけた足を元に戻したんだろう。つまりはぼくに任せてくれるということ。さくらはぼくが上りきれると、信じてくれた。

「……がんばれ」

 つぶやくようなその言葉と共に、さくらの腕がぼくの腰にしがみつくように回されて、安定感が増す。背中に彼女の顔が、身体がぴたりと触れて、そこだけがやけに温かかった。

 ぼくはペダルをこぐ足にもっと力を込めた。自転車がスピードを上げ、急な坂道をぐんぐん上っていく。使い古したぼくの自転車は、辛い走りに耐える度にギィギィと嫌な音を立てたりもする。お前も、がんばれ。

「負けるな、ハル!」

 さっきよりもずっと大きな声で、さくらの声援が飛んだ。あっという間に、長い上り坂の中腹を越えていた。上り始めた時よりもさらに傾斜はきつくなっているけど、ぼくはスピードを落とさない。落としたくない。

「……さくら」

 ぼくは身体の奥から絞り出すように、後ろにいる彼女の名前を呼んだ。

「何?」

 急に呼ばれて驚いたのか、少し遅れて返事が聞こえてきた。

「……大丈夫だよ」
「え?」
「不安でも、大丈夫だよ!」

 何の根拠もなかった。だけど、ぼくはそう信じている。さくらなら、きっと大丈夫だって。

 坂の頂上が見えた。あと、もう一歩。

「がんばれ!」

 ぼくは叫んだ。さくら、がんばれって。

「……がんばれ」

 さくらが小さな声でつぶやいた。それはぼくに言ったのかもしれないけど、たぶん、本当は彼女自身に言っていたんだと思う。