電車の出発時刻がもう目前になった。さくらが乗る電車がホームに入ってくる。ベルが鳴って、ドアが開いた。
さくらはカバンを肩にかけて、ホームから電車の中へ、ドアを飛び越えてゆっくりと一歩を踏み出した。今はまだ手が届く距離。けれどそこには、もうぼくらの足では測れないほどの距離が隠れている。
この時間の電車の中はまだガラガラに空いていたけど、さくらは席に向かわずに、その踏み出した一歩目の場所で、立ち尽くしていた。
「さくら……」
ぼくはさくらの背に向かって、彼女の名前を呼んだ。さくらは一瞬立ち止まって、ゆっくりと顔をうつむかせた格好で振り向いた。
「……ねぇ、ハル。私やっぱり、不安だよ」
「うん」
「だから忘れないで」
「うん」
「また会おうね。会って、話しようね」
「うん……」
「……約束だよ」
ぼくはさくらが泣いていると思った。きっとそうだ。だってぼくも、泣きそうだったから。さくらの前でなければ、間違いなく泣いていると思うから。
ぼくの手は震えていた。その手はさくらの肩を優しく触れてあげたくて、でもそれができなくて、必死にこらえるように震えていた。今この手を差し出したら、ぼくはさくらを引き止めてしまうんじゃないかと思って、それが怖かったからだ。
「ねぇ、さくら」
ぼくは彼女の名前を呼んだ。ほぼ同時に、発車のベルが鳴り響く。
「ぼくも、さくらに出会えて本当によかった」
プシュウ、と音がして、ドアが閉じた。ぼくとさくらの世界が、完全に隔てられる。
「約束するから」
壁を通り抜けて聞こえるよう、電車の音に負けないよう、ぼくは声を張り上げた。電車がゆっくりと動き出す。ガタン、ゴトン、と音を立てて。
「またね、さくら」
ぼくは電車に負けじと精一杯並んで走った。けど電車はあっという間にスピードを上げて、ぼくらをゆっくりと引き離していく。
ぼくは手を振った。さくらに見えるように、大きく、大きく。
電車はぼくを置いて、すぐに見えなくなった。
改札口の外は、さっきとはまるで違う世界のように、そこに住むみんなのために存在していた。車の通りも多くなったし、仕事に向かう人や、駅前の店では開店の準備をしている人の姿も見える。
この世界は、ぼくのためには存在してくれない。いや、存在してくれなくてもいい。それはもう、意味のないことだから。
ぼくは自転車にまたがって、再び走り出した。
少し前にさくらを後ろに乗せて走ってきた道とまったく同じ道を通った。だけどもう、さっきとはまったく違う匂いがする。ほんの数十分前の時間が、ずっと遠い昔のことのように。
さくらのいない後ろはひどく軽くて消えてしまったようで、ぼくは前輪だけで走っているんじゃないかと思った。
ぼくは思い切り走った。上り坂も下り坂も、できる限りのフルスピードで。
悲鳴のような車輪の音が、いつまでも響いていた。
さくらはカバンを肩にかけて、ホームから電車の中へ、ドアを飛び越えてゆっくりと一歩を踏み出した。今はまだ手が届く距離。けれどそこには、もうぼくらの足では測れないほどの距離が隠れている。
この時間の電車の中はまだガラガラに空いていたけど、さくらは席に向かわずに、その踏み出した一歩目の場所で、立ち尽くしていた。
「さくら……」
ぼくはさくらの背に向かって、彼女の名前を呼んだ。さくらは一瞬立ち止まって、ゆっくりと顔をうつむかせた格好で振り向いた。
「……ねぇ、ハル。私やっぱり、不安だよ」
「うん」
「だから忘れないで」
「うん」
「また会おうね。会って、話しようね」
「うん……」
「……約束だよ」
ぼくはさくらが泣いていると思った。きっとそうだ。だってぼくも、泣きそうだったから。さくらの前でなければ、間違いなく泣いていると思うから。
ぼくの手は震えていた。その手はさくらの肩を優しく触れてあげたくて、でもそれができなくて、必死にこらえるように震えていた。今この手を差し出したら、ぼくはさくらを引き止めてしまうんじゃないかと思って、それが怖かったからだ。
「ねぇ、さくら」
ぼくは彼女の名前を呼んだ。ほぼ同時に、発車のベルが鳴り響く。
「ぼくも、さくらに出会えて本当によかった」
プシュウ、と音がして、ドアが閉じた。ぼくとさくらの世界が、完全に隔てられる。
「約束するから」
壁を通り抜けて聞こえるよう、電車の音に負けないよう、ぼくは声を張り上げた。電車がゆっくりと動き出す。ガタン、ゴトン、と音を立てて。
「またね、さくら」
ぼくは電車に負けじと精一杯並んで走った。けど電車はあっという間にスピードを上げて、ぼくらをゆっくりと引き離していく。
ぼくは手を振った。さくらに見えるように、大きく、大きく。
電車はぼくを置いて、すぐに見えなくなった。
改札口の外は、さっきとはまるで違う世界のように、そこに住むみんなのために存在していた。車の通りも多くなったし、仕事に向かう人や、駅前の店では開店の準備をしている人の姿も見える。
この世界は、ぼくのためには存在してくれない。いや、存在してくれなくてもいい。それはもう、意味のないことだから。
ぼくは自転車にまたがって、再び走り出した。
少し前にさくらを後ろに乗せて走ってきた道とまったく同じ道を通った。だけどもう、さっきとはまったく違う匂いがする。ほんの数十分前の時間が、ずっと遠い昔のことのように。
さくらのいない後ろはひどく軽くて消えてしまったようで、ぼくは前輪だけで走っているんじゃないかと思った。
ぼくは思い切り走った。上り坂も下り坂も、できる限りのフルスピードで。
悲鳴のような車輪の音が、いつまでも響いていた。