「でも幹太くん、いい町に来たね」

 栞里の口から出た言葉は意外なもので、俺はポカンと固まった。

「……いい町?」

 前の学校の友人たちはみんな口を揃えて『なんでそんな町に』と言っていた。もちろん俺もそれは当然ながらに思った。海が見える町ならほかにもいくらでもあるから。だけど、母さんはどうしても〝この町がいい〟と言った。

「幹太くんもそう思わない?」
「どう、だろう……」

 この町へ引っ越してまだほんの一週間程度。だから栞里が言う〝いい町〟がどんなものなのかピンとこない。

「じゃあ、幹太くんにだけ特別に教えてあげる──」そう前置きをすると、子どものように無邪気に笑った。

「まずは海が見えるでしょ」
「まぁたしかに……」
「どこにいてもわりと見えるよ。そしてその海で取れるお魚はすごく新鮮でね、採れたてのお刺身なんかすっごく甘くておいしいの! 東京よりもきっとおいしいよ!」

 浮き浮きして、顔の皮膚までがしっとり輝きだすように笑いながら話す。まるでしゃべりだしたら止まらない機関銃のようだ。

「次に人が優しくて温かいところ! この町に住んでるってだけでみんな優しく声をかけてくれるの。おはようとかおかえりとか、みんな家族みたいなんだよ!」

 都会ではそんなこと一度もなかった。隣にどんな人が住んでいるかも分からない。同じ日本でもこんなに違うんだな。

「そしてね、ここは私が生まれ育った町なの。一度も外に出たことないよ」
「一度も……?」
「うん! いい思い出もそうじゃない思い出もたくさんあるけど、私にとってそれをひっくるめて全部思い出なんだぁ」

 栞里の横顔は、とても幸せそうに緩んでいた。

 彼女にとってこの町は、何もない町とかこんな町とかではなく〝いい町〟なんだ。

「だからね、幹太くんにもこの町を好きになってもらえると嬉しいなぁ」

 母さんのためにだけに俺はついて来ただけだ。べつにどこに引っ越しても俺がすることは同じだと思っていた。ふつうに過ごせたらそれでいいと考えていた。友人なんていらない。とにかく母さんが穏やかに過ごしてくれたらと願っていた。
 この町に思い入れなんてない。俺は、ただふつうの毎日を過ごすだけだから、と。そう思った自分が無性に恥ずかしくなる。