「幹太くんは、海嫌い?」

 突飛なことを尋ねられて、え、と困惑した声を漏らしたあと、きょとんと固まる俺。「おーい幹太くん」目の前で手を振って意識確認をされる。そこでハッとした俺は、フリーズした頭を働かせて彼女の言葉を頭の中でリピートする。

 〝幹太くんは、海嫌い?〟

「……海は好きだけど」

 自然とこぼれ落ちた言葉を聞いて、栞里は「よかった」と上機嫌に目を細めた。

「嫌なことあっても波の音聞いてるだけで心が穏やかになるんだよね。すごく落ち着けるっていうか……幹太くんもそう思わない?」

 ザザーン。押し寄せては引いて、押し寄せる波が白い無数の泡を岸に残し、潮の香りが鼻先をかすめる。首筋を優しく撫でるように優しい風が吹いて、肌にも髪にも匂いが染み付いてしまったかのように、そこそこに満ちている。

「たしかに、なんか穏やかになる」

 景色を眺めていると、心の中の黒いものが全て浄化されるような感覚だ。

 俺は、東京でこんなに景色を眺めたことはなかったし空も眺めたことはなかった。やりたいことを手放した俺の日常には色はなく、それからの日々は、手のつけようのない数字の問題を目の前にして、時計の針を動くのを眺めているようなそんな毎日が続いていた。
 
 だから、こんなふうに心が何かで満たされるのは初めてだった。

「……海ってこんなに綺麗なんだね」

 自然と口からこぼれ落ちる。

「どうしたの突然」
「いや、なんか言いたくなって……」
「そっかぁ」

 知らなかった。海の偉大さを。
 知らなかった。海の青さを。

 どこまでも続く水平線の向こうは、空と繋がっているような気がした。それほどまでに青い海と青い空は、写し鏡のようだ。

「そういえばこの前、展望台に行ったでしょ。かんちゃん覚えてる?」
「ああ、うん」
「あの場所は家族との思い出なんだけどね、ここは私にとって特別な場所なんだぁ」

 あの日を思い出すように、一言一句を丁寧に紡ぐ。

「そんなに特別な場所なんだ」

 俺が尋ねると、「うん」か細い声で返事をする栞里。
 隣へ顔を向ければ、栞里は照れるようにほんのりと頬を赤く染めていた。

 ──もしかして、まさか。
 嫌な考えが頭の隅をよぎって、振り払うように顔を上げる。