テンポよく進む会話は、風によって流されて穏やかな空気で纏われる。
 中身のない内容でさえも楽しいと思えるのは、俺がここへ来て変わったということだ。

 ──それはもう、いい方向に。

「ねぇ。かんちゃんのおかげで私の夢、叶っちゃった!」

 なんの脈絡もなく告げられた言葉は、興奮が爆発しているような弾む声。

「なに、突然……」
「なんか言いたくなっちゃって……こうやって自転車に乗って風を切ること。私、ずっとできなかったからさぁ……」

 少しだけ、寂しげな声が落ちる。

 緩やかな下り坂になってスピードが弱まったから、そう聞こえるのだろうか。

「だからありがとうね、かんちゃん」

 人に感謝されるのがこんなに嬉しいことだったなんて知らなかった。ましてやそれが特別な想いを寄せている人なら嬉しさは倍増する。

「俺が栞里の夢、叶えてあげるよ」
「……え、かんちゃん?」

 〝一生のお願い〟なんか使わなくたって、俺がどんな夢でも叶えてみせる。

「俺にできることなら全部、叶えるよ」

 だから、そんなに悲しそうにしなくたっていい。
 栞里が俺のそばから離れてしまうそのときまで、時間が許されるまでそのときまで、栞里のためなら俺は何だってできる。

「……ありがとう、かんちゃん」

 下り坂を二人乗りして、ちょっとした青春気分。今だけは、夢を見ていい。今だけは現実を忘れてもいい。

 お腹に回っていた腕にわずかに力が込められる。
 ぴったりと背中にくっつく栞里の存在に、俺の胸は早鐘を打ちつける。

 今だけは、幻想に浸りたい。
 ほんのいっときの夢物語でも構わないと思った。

「風、すごく気持ちいいね」

 緩やかな下り坂の目の前から流れてくる風。俺の頬を撫でて通り過ぎる。潮の匂いが鼻先をかすめる。
 遠くの方でざざーんと波が押し寄せる。さんさんと降り注ぐ陽射しがスポットライトのように俺たち二人を照らす。

「そうだね」

 東京にいた頃は、自転車に乗って風を切るなんてこと一度もなかった。移動するといえばいつも電車で夏は冷房、冬は暖房。快適な空間が広がっていた。
 自転車に乗れば、夏でも風は涼しく感じるとか、外の匂いを吸い込むと心が穏やかになるとか。空から差し込む光は道端に咲いている花にたくさん栄養を与える。全て知らなかったこと。

 ──風を切るってこういうことか。

 まるで空を自由に飛ぶ鳥のようだ。俺たちは今、自由な翼を手に入れた。