「怖くない?」

 花びらのように身体が軽くて、静かすぎる栞里に心配になって声をかける。

「全然大丈夫だよー!」

 声を弾ませながら叫ぶ声が空気の中に伝わってくる。
 いつもより近くで栞里の声が響く。顔を見なくても分かる。彼女は今すごく嬉しいみたいだ。頭の中に笑った彼女の顔が浮かぶ。

「スピード、すごいねぇ……!」

 いつもは空席の後ろが、今日は埋まっている。幸福感で満たされて自然と頬が緩む。

「だけど風がすごく気持ちいいねぇ!」

 俺に身体を預けるようにぴったりとくっつく栞里。さっきまで緊張していたのが嘘のように、今は風に夢中になっている。

「俺は顔がすごく痛いけどね」

 代わりに俺の胸だけかどきどきと疾走する。

「ねぇ、かんちゃん。景色すごく綺麗だよ!」

 不意をついたような呼び方に落ち着いていた鼓動がまた早鐘を打つ。

「ちょ…その呼び方やめてって……!」
「いいじゃん。あだ名で呼んだ方が壁感じないでしょ?」
「それはそうかもしれないけど…」

 〝かんちゃん〟そう呼ばれるたびに、俺の鼓動はどくんっと跳ねる。

「──私、決めた!」

 俺の答えを待たずに、何かを宣言するように力強く発せられる。
 下り坂は少し緩やかになってスピードも穏やかになる。

「今日から幹太くんのことかんちゃんって呼ぶ!」

 それに並走するようにゆっくりと落ちてきた言葉に、え、と困惑して声を漏らす。

「……なに、勝手に決めてるの……ダメだって何度も言ってるじゃん」
「かんちゃん呼びの方が可愛くていいでしょ」

 ひょっこり横から顔を出すから、ちら、と俺の視界の端にわずかに映り込む栞里。その姿があまりにも愛おしくて。

「……じゃあせめて今日だけにして」

 先に降伏したのはやっぱり俺だった。

「どうして今日だけ?」

 それを不満に思ったのか栞里が問いただす。

 かんちゃん、なんてどう考えたって弟みたいとしか思われてなくておもしろくないからだ。

「とにかく今日だけだから」

 ──間違いなくこれは嫉妬だ。

 どうやら栞里はその呼び方を気に入ったみたいだ。「えー」と不満を漏らしたあと、「かんちゃんのケチ!」拗ねる栞里。だけど、俺のお腹に回っている腕だけはしっかりと繋がれたままだった。

「──じゃあさ、私にもあだ名付けてよ!」

 突然、ぱあっと花が咲いたように声に明るさが戻る。