──に"ゃーーお"
不意にどこからともなく鳴き声がした。
「……今の猫?」
「どうかな……」
お互い顔を見合わせる。栞里は、苦い笑みと困惑した表情が複雑に絡み合っていた。
「んに"ゃーあ」
俺の足元へ姿を表したのは、何となく見覚えのある猫だった。──というのも国崎が言っていた柄と瓜二つの猫だったためだ。
「やっぱり猫ちゃんだったんだ!」
ホッと安堵するような表情を浮かべた栞里は、顔色に明るさが戻る。
かがんで小さな頭を撫でると、に"ゃーお、と鳴いてすりすりと俺の手に擦り寄ってくる。どうやらこの町の野良猫は人見知りという言葉を知らないみたいだ。
「すごい、七三分けの猫ちゃんだねぇ」
「見たことある?」
「キジ柄とか三毛猫は見るけど、この子は見たことないかなぁ。ちょっと特徴的な名前だよね」
おでこに七対三くらいで黒い毛をした柄だった。前髪に見えなくもない。気が緩み、広角を上げていると「よしっ!」声が落ちてくる。
「この子の名前は、さんちゃんに決めた!」
平らな水のおもてにいきなり水を投げられたように、心は波立ち騒いで落ち着かなくなった。
「幹太くんどうかした?」
「あ、いや…」
〝さんちゃん〟という呼び方に急速に手繰り寄せられて口の中が乾いてくる。
「最近七三分けの猫を見かけたって子がいるんだけど、その子も栞里と同じ名前つけようかなって言ってたのを思い出して……」
ついでに嫌な記憶まで蘇り、眉間にしわを寄せる。
「その子もさんちゃんって言ってたの?」
「うん、全く同じ」
「じゃあやっぱりこの子はさんちゃんって命名しよう!」
ぽんっと手をついて、七三分けの猫を見て「さーんちゃん」と呼ぶが、猫は当然無視。代わりに俺の顔を見て、に"ゃーお、ともう一度呼んだあと、ぷいっと背を向けて歩き出す。
「あーあ、行っちゃったぁ……」
猫が階段を器用に降りてゆく。先ほどまでとは打って変わって太陽が雲間に入ったように顔が曇る。
「猫ってツンデレって聞くよね」
「うーん、そうだけどさぁ……」
猫が降りて行った螺旋階段を見下ろしながら、背中で風を受け止める。
ここは思いのほか風が強くて栞里の華奢な身体は雲のようにふわふわと飛んでいきそうだ。
「今度また現れると思うよ」
「そうかなぁ……」
風に攫われる髪の毛を抑えながら顔を悲しそうに表情を曇らせた──。