「あ…うん、大丈夫」

 緊張のあまり熱湯から上がったときのように汗が身体から一気に溢れるような感覚に襲われる。

「ほんと? よかったぁ」

 麦わら帽子を受け取ると、子どものようにあどけなく笑う。

 俺は、雲の上に持ち上げられたような心地よさを感じたと同時に、身体の奥からこんとんと湧き出る感情に気がついた。

 中学や高校の頃は周りの友人が、あの子は可愛いとか一目惚れをしたとか騒いでいたことを思い出す。その頃の俺は、なんだよ一目惚れとバカにして恋愛なんか興味もなかったし、自分に幸せなんて必要ないと切り捨てていた。母さんの一件があったからだ。

 恋なんていつかは儚く終わってしまうものだ。信じたって裏切られるだけの夢物語だ。そんなふうにどこか冷めた自分がいた。

 だけど、これは間違いなく一目惚れだ。

 胸がいっぱいになるほど優しい気持ちになって、好きで好きでたまらなくなって、この人のためならなんでもしたいと思った。

「バス…待ってるの?」

 落ち着け、自分。心を平常心に、そう言い聞かせる。

「うん、そうなの。でも、次のバス二十五分後なんだよね」

 バス停前に立てられている時刻表に指をさす。隣へそうっと近づいて時刻表を覗けば次のバスは十六時ちょうどだった。

「ほんとだ……」

 自転車通学ならまだしも、バス通学の人は時間に縛られながら学校へ通っているのか。バスの時刻表の真っ白さに驚いていると「でしょ」と呆れたように肩を落とした。

「この町、不便なの」

 身体を反転させてベンチへと向かう。

 何もないところで二十五分も待つなんて地獄だろうなぁ、暇だろうなぁ、なんて思っていると「だからね」と言った女の子がベンチにすとん、と座ったあと俺を見上げた。

「バスが来るまでここで一緒にお話しない?」

 突拍子もなことを告げられて、一瞬理解が追いつかなかった俺は目を白黒させる。

「ダメかなぁ」
「いや、ダメって、言うか…」
「じゃあいいってこと?」
「え、いや、あの」

 予想だにしていなかった展開にますます頭だけが混乱して、急速にのどが乾く。

 ──ピコンっ

 そんな俺を手助けするかのようにかばんの中に無造作に突っ込んでいたスマホが鳴った。「ちょっとごめん」のどの奥から声を張り上げたあと、ベンチから立ち上がって自転車カゴに入れっぱなしのかばんを開けてスマホを取り出す。