どこまでも青い海は、あの日のきみと繋がっていた。


 栞里の案内の元、しばらく歩いた先には何かの工場らしきものが見えたがそれ以外は住宅街だけだった。

「ここだよ」

 どうやら彼女が連れて来たかったのはここらしい。

 なぜここへ連れて来たのか、理由が分からず困惑した。舗装された敷地の上に大きな工場があるだけの、この場所。

「ここね、パン工場なの!」
「パン……工場?」

 気が抜けた俺は面食らってぽかんとする。

「私がまだ小さかった頃ね、妹とよくここに来てたんだぁ」

 あたりをきょろきょろ見渡しながら「懐かしい」と口元を緩ませる。
 このあたりは田んぼが少なく舗装されていて、なおかつ周りには住宅街が広がっていた。

「妹がいるの?」

 突然の新情報に食いついた俺は、ここへ連れて来られたことさえも忘れそうになる。

「そうだよ! 幹太くんは兄弟いる?」
「いや、一人っ子」
「ああ、なんかそんな感じするねぇ!」

 話が横道へ逸れるが、栞里が楽しそうに喋るから俺は黙って聞くことにした。

「それでね、妹とよくここへ来てパンの匂いを嗅いでたの」
「パンの匂いを……?」
「なんでパンの匂い嗅いでたと思う?」

 全文省略したような問題に、さすがの俺も参ってしまう。

「……さぁ、なんでだろう」

 考えるのを数秒で放棄した俺に「もう〜」と不満そうに言いながらも楽しそうに笑っているから俺まで自然と笑顔になる。

「答え教えてよ」

 ようやくいつもの自分に戻ったのを実感した。そうしたら「仕方ないなぁ」とわざとらしく腕を組む栞里。

「正解は、パンの匂いが幸せだから!」

 ──と意気揚々と告げてみせた彼女の表情は、まるでひまわりが咲いたように明るかった。

 〝パンの匂いが幸せ……?〟

「どういう意味?」
「パンの焼き上がった匂い嗅いだことない?」
「いや…ふつうに生きてたら滅多にないよ」

 そりゃ中学までは学校給食だったけれど、お昼になればパンは冷めて焼き上がりほどの匂いを発しない。

「しかもパンの匂いが幸せってのもいまいち分からないんだけど」
「えー、うそぉ。焼きたてのパンの匂い知らないなんて人生の半分損してるのと同じだよ!」

 あまりにも話が飛躍しすぎて耐えようにも耐え切れず、広角に笑みが浮かぶ。

「もうっ、幹太くんってばどうして笑うの!」
「いや、だって人生の半分とか……」

 栞里の言葉に思わず口元がほころぶが、そんな俺を見て「もう〜…」と頬を膨らませた。

「どうやったら幹太くんに伝わるかなぁ……」

 腕を組みながらしばらく悩んだ末「あっ!」声をあげてぽんっと手を叩く。

「もう少し待ったら分かるかも!」

 浮き浮きして、顔の皮膚までがしっとりと輝き出すように笑った。

「え、どういうこと……?」
「いいからちょっと待って!」

 そう言われてしまえば何も言えなくて、仕方なくしばらく待つことにした。

 一分、三分、そして五分待ったあたりで〝ピー〟と甲高い音が工場の中からかすかに漏れる。「これだ!」声をあげた彼女は俺のシャツの袖をぐいぐい引っ張った。一瞬の不意をついたように「えっ、ちょ…!」動揺した俺は、金魚のように口をパクパクさせる。

 ──ふわっ

 絶妙なタイミングで風が吹く。遠くの方で木々がざわざわと揺れたあと、鼻先を何かの匂いがかすめた。
 その匂いによって動揺から意識が逸れる。

「……パンの匂いだ」

 思わず小さな声を漏れる。

 俺のシャツの裾から自然と離れた栞里の手。温もりが消えて、余韻はあっという間に風に流される。

「んー、やっぱり焼きたてのパンの匂いはいい匂いだなぁ」

 栞里は目を閉じて深呼吸をするように空気を取り込む。パンの匂いを嗅いでいるみたい。

 さっきの音は、パンが焼き上がったことを意味していたのか。

「あー、ほんとに幸せ」

 栞里は言った。つられて俺も目を閉じて、身体全体で匂いを感じる。視覚を閉じただけで、鼻から入り込む匂いは何倍にも威力を増した気がした。
 小麦が焼けた匂いを、これほど間近で感じたのは初めての体験で何と言葉で表現したらいいのか分からなかった。

「ねえ、幹太くんはどう? 焼きたてのパンの匂い分かる?」
「ここまで小麦の匂い感じたら誰だって分かるよ」

 工場の通気口を通って焼きたてのパンの匂いが風によって流れてくる。ただのふつうのパンなら何とも思わない。が、焼きたてのパンは別格だ。

「なんか、すごくいい匂い」
「でしょでしょ!」

 水を得た魚のように目をキラキラさせて、はしゃぐ栞里。

 鼻から入り込む焼きたての匂いは、身体の奥へと流れていく。そうして血液にのって脳へと巡る。ドーパミンを刺激して、それがある感情へと変化する。

 ──なるほど、そうか。

「最初は栞里がここへ連れて来たとき全然意味が分からなかった。なんで工場なんだろうって。でも、今やっと分かった気がする。幸せってこういうことなのかな」

 今までに味わったことのない幸福感が身体の中全てを埋め尽くして、知らぬ間に俺の広角は上がっていた。

「分かってもらえてよかった」

 栞里は、満足そうにほころんだ。

 少し前までの俺は幸せなんて諦めていた。手放していた。一度消えたものは元に戻らない。俺の幸せは取り戻すことができないと思っていた。幸せになることなんか必要ないと思っていた。

「……俺、ずっと間違ってたのかな」

 悔しさが水のように胸に流れ込んでくる。

「間違ってたって何を?」

 ──母さんのためだと思っていたこと全てが。

「やりたいことも全部、何もかも手放してた。それに……」
「自分の幸せも?」

 隠した言葉を彼女が探し当てるから、胸がどきりと音を立てる。

「…うん」

 実際は、自分の罪悪感から逃げるために母さんのせいにしていただけなのかもしれない。言い訳にしていただけなのかもしれない。
 俺は、吐き出したいほどの自己嫌悪に駆られる。

「また、やり直したらいいんじゃないかな」

 ネガティブな俺の言葉を拾い上げると、それをプラスに変換した彼女。

「どうせやり直しなんか効かない」
「やってみなきゃ分からないよ?」
「だけどもう手遅れなところまで……」

 深い穴に沈むように、自分を見失いそうになったそのとき「──ねえ幹太くん、知ってる?」栞里の声が一筋の光を照らし出す。

「人生ってね、何度でもやり直しができるんだよ。人生は一度だけなんて決まってない。何度だって失敗してもいいの。その分、挑戦だって何度だってできるんだよ。だからね、またそこから再スタートを切ればいいの!」

 俺の中の〝後悔〟と〝罪悪感〟を全て拾い上げると、ひまわりのように笑った。

「…ここからやり直せるかな」
「幹太くんなら大丈夫!」

 ──もしかして俺、その言葉をずっと待っていたのかな。誰かに背中を押してもらいたかったのかな。

「幹太くんが幸せだと思えるその日まで、ちゃんと私が見守っててあげるよ」

 胸の中に空いていた穴が何かで埋められると同時に、目の前が不思議な明るさを帯びているのを感じた。

 たとえその言葉が嘘であったとしても本心ではなかったとしても、その一瞬だけでも俺は幸福感で満たされる。

「……ほんとに?」
「もちろん。約束するよ」

 パンの焼き上がった匂いは、この一体にしばらく漂い続けた。幸福感と共に──。

 ◇

 休み時間、廊下の開けられた窓からむわっと湿り気の風が入り込んで思わず眉間にしわを寄せた。

「昨日はごめんなさいっ!」

 国崎が深く頭を下げた。次いで羽田も。控えめに「悪かった」と。いくら廊下の端だからとこんなことをすれば目立つのは当然のこと。通りすがる生徒は、なんだなんだとどよめきが起こる。

「…やめろよ」

 目立つのは嫌だった。窓の外へ顔を向ける。

「で、でも、昨日私があんなこと言ったから……」

 俺はいつだって部外者でいたい。なんて思うけれど、昨日あれだけのことを言ったんだ。部外者ではいられない。

「ちゃんと高槻くんに説明する。だから聞いてほしいの」

 国崎が意を決したように言葉を紡ぐから、これから何を言おうとしてるのかすぐに分かる。
 すーはーと深呼吸して緊張をほぐそうとしていた。が、一向にしゃべらない。

「茜音、俺が話すよ」

 国崎の肩に手をついた羽田が、代わりに口を開く。国崎は、申し訳なさそうなホッと安堵したような表情を浮かべていた。

「写真部には最低でも四人いなきゃいけないんだ」

 いきなり羽田が喋り出すから、俺もやつへと視線を向けた。

「でも残っているのは、俺と茜音を含めて三人。一人は幽霊部員ってやつで。たまにしか来なくて」

 ああ、なんか漫画か何かでそんな設定のやつ読んだことある。それでたしか続きは……

「今月末までにあともう一人入部しなければ、写真部は今年で廃部になるって」

 ──ほらやっぱり。想像していたものと一ミリの狂いもない。

 今月末までにあと一人獲得しなければ今年で廃部。だから国崎は焦っていたのか。これでようやく謎が解ける。
 栞里が写真部の先輩だと知った。すごく楽しいと言っていた。が、すぐに心変わりできるほど俺は鈍感じゃない。

「悪いけど、」

「──お願い!」

 断ろうと思った矢先、彼女の言葉が俺の声を遮った。そのせいで途中まで出かかった言葉はのどの奥へと押し流される。

「三田くんみたいに幽霊部員でもいいの!」
「は?」
「ううん。部活なんかしなくてもいい。一度も来なくてもいい……ただ、名前だけ貸してくれないかな」

 今にも泣いてしまいそうなほど顔を歪めていた。

 〝この町、すごくいい町なの〟〝海もすごく綺麗なんだよ〟〝一樹くんにもこの町を好きになってもらえると嬉しいなぁ〟

 ──初対面のあの日、栞里がそんなこと言っていた。俺はまだ知らない。この町を知るほど理解できていない。

「ほんとに一度も部活に来ないけど」
「……え?」
「入部したあとにやっぱ辞めたいって言い出すかもしれないし」

 俺は自分勝手で、わがままだ。小学生から中学一年の間ずっと野球をしていたけれど、辞めるときは淡白だった。あんなに汗水流した野球のユニフォームやジュースは、捨てた。
 それだけ俺は物事をすぐに切り捨てることができる。

「……高槻…くん?」

 目を白黒させたあと、しばらく黙り込む。驚いて何も言えなくなったのだろう。

「やならべつにいいけど」

 何も言わない二人は俺を見続けるから、さすがにこの空気に耐えられなくなって言葉を取り消そうと思った矢先、ハッとした国崎が「それでいい!」慌てて叫ぶ。

「部活に来れないのは仕方ないよね、高槻くんにだって何か理由あるわけだし……うん。名前貸してくれるだけでも十分助かるし」

 ぶつぶつと唱えるような声で、うわごとのように呟いて「……うん、そうしよう」首を何度も縦に振った。

「高槻くんの名前貸してください!」

 突然頭を下げるものだから、周りの生徒はまたなんだなんだとざわついた。
 最近では転校生というレッテルもようやく解けかけてきたというのに、今度は女を泣かせてるみたいな噂が立てば俺の印象は最悪になる。

 ……あー、もう面倒くさい…!

「名前でもなんでも貸すからとにかく頭上げろって!」

 切羽詰まった俺の口から漏れた言葉に、顔をあげた国崎がぱあっと顔をほころばせる。

 これでほんとによかったのだろうか。選択を間違っていないだろうか。途端に不安になった。

「高槻、ほんとにいいのか?」
「そう言ってんじゃん」

 なかばヤケになりながら言葉を投げつける。
 羽田が「マジがぁ」としみじみとホッとする。

「よかったぁ……!」

 その傍らで、国崎の目尻には涙が浮かんでいた。俺はぎょっとして「ちょ、は?」と狼狽える。
 ひそひそと声がしてあたりを見れば、女の子が泣いてるぞ、どうしたんだ、と俺へと注がれる視線は一気に増える。

「……ごめんね、何でもないの」

 目尻に浮かんでいた涙を指先で拭うと、口元に弧を描く。

 無理をして笑っているのだけは分かった。が、それを聞く言葉も勇気も今の俺にはなくて、立ち尽くしていた。

「早速で悪いんだけどこれ書いてくれないかな」

 国崎の代わりに羽田が、ズボンのポケットから取り出したのはしわくちゃになっていた入部届だった。

「……は?」

 ちょっと待て。俺が部活に入ると承諾したのはたった今だぞ……?

「なんでこれ持って……」

 頭の中が白く溶け落ちるような衝撃が走る。

「今年に入ってから先生にもらってたんだ。一年が入学してきて、どうにかして写真部に入ってもらおうと思って……で、ずっとこの入部届は俺が持ったままだったんだよ」

 口をぽかんと空けたまま固まる俺に羽田が告げる。

「だから、最初から何が何でも写真部に入れようとしてたわけじゃないから!」
「ほんとだよ。それもらったの今年の四月になってからだから」

 二人して俺に言い訳がましく言葉を並べたあと「……信じてくれる?」国崎の絹糸のようにか細い声が漏れ、不安そうに揺らぐ瞳。

 たしかに入部届には無数のしわが残っていた。紙も少し色褪せて見えた。どうやらその言葉に嘘はないらしい。
 
「だからね、高槻くん、」
「分かったよ」

 俺の心に溜まっていた抵抗が霧のように薄れていく。

「これ、書けばいいんだろ」

 羽田の手から入部届を引き抜くと、しわだらけで色褪せていたそれはもはやただの紙切れ同然にも思えた。が、彼らにとってこれはとても大事なものなのだろう。

「今度持ってくるから」

 しわくちゃになった入部届を片手に教室に戻った俺。

 母さんへの罪悪感から部活には入らないと決めていた俺が、こうもあっさり覆ってしまうなんて情けないと思った。
 だけど、べつに名前を貸すだけだ。きっと母さんは許してくれる。

 自分の心の変化に嬉しさを感じたが、同時に切なさと不安が同時に襲いかかった。
 少しでも気を抜けば、俺は後悔の渦に引き込まれそうになる──。

 バス停留所の前でブレーキをかけると、キキー、という音に彼女は気づいて振り向いた。

「あ、早かったね」

 俺の顔を見るなり、いたずらっ子のような表情で笑う。

「今日も大学?」
「ううん、今日はもう終わり。それでね、幹太くんもう学校終わるころかなぁって思って」

 なんの脈絡もなく告げられた言葉に、狐につままれたような顔でぽかんと眺める。

「ここ幹太くんの帰り道なんでしょ? だから待ってたら必ず通るかなぁって待ってたんだ!」

 予想外の言葉に俺の心臓は早鐘のように打つ。

 ……ああ、どうしよう。今どうしたって顔がにやけてしまう。浮き足立ったままどこかへ飛んでいきそうな心地よさに、思わず顔が緩む。

「ねえ幹太くん。今日、もしかしていいことあったの?」
「なんで?」
「だってすーっごくいいことあったって顔してるから!」

 水を得た魚のように「こんなふうに」と両手の人差し指を口元に当てて口角をあげる。おそらく俺の真似をしているんだろう。
 それを見て確信した。今の俺はどうやら気持ち悪いくらい笑っていたらしい。

 ──俺のことを待ってた、意味は限りなく違うけれど、俺のことを考えて待っていただけで死ぬほど嬉しかった。

「いいことなんかなかったよ。むしろその逆」

 尽きることのない泉のように喜びが湧き上がってくるのを感じながら、対照的な言葉を口にする。

「部活に入ることになったんだ」
「えっ、部活? それってもしかして……」

 俺とのこの前の会話を思い出して、少しだけ動揺してみせる栞里。

「うん、写真部」

 あれだけ部活に入ることを頑なに拒んでいたのに、どういう風の吹き回しだろうと自分で呆れたのも事実だった。

「そっかぁ! 幹太くん、写真部に入ってくれたんだね!」

 顔にパッと花が咲く。まるで子どもをあやすときのようになだめられるような感覚だ。

「いや、べつに栞里のためってわけじゃないし」

 それが無性に恥ずかしくなって、子どもがすねたように横を向く。
 そうしたら、「うん、分かってるよ」落ち着いた声で返事をするから、ますます俺は恥ずかしくなる。

 動揺するのは俺だけで、栞里は凛とした振る舞いをしていた。それだけで歳の差二つを痛感させられる。

「だけど幹太くんが部活に入るなんて意外だったなぁ! この前なんて絶対に入ってやるもんか!って意気込みを感じたくらいだもん」

 自信を持って断言するように、力を込めてはっきり言う。

「べつに意気込みってわけじゃないけど……」

 身体がかあっと熱くなり恥ずかしくなる。そんな俺にトドメを刺すように「それくらいこの前の幹太くんすごかったの!」と今度はあどけない表情で笑う。

「でもいいね、部活。すっごく楽しそう!」
「俺的には面倒なことに首突っ込んだって感じで後悔してるけどね」

 後悔と不安が、色の違う絵の具みたいに混じり合う。

「全然そんなことないよ! だって、高校生が放課後部活に明け暮れるなんて青春って感じするじゃん! それに、部活してるとなんだか分からないけどモテたりするときってあるでしょ。だからこれから恋に発展なんかしたりして……!」

 まくし立てるように告げたあと、なんて妄想を膨らませて「きゃー、楽しそう!」と足をバタつかせながらはしゃぐ栞里は、子どものようだ。

「……恋なんてありえないし」

 思わず口からポツリと漏れると、「あっ!」それを栞里が拾い上げる。

「そっか。そうだったね! 幹太くんには好きな子いるんだったよね」

 その言葉で前の記憶が急速に手繰り寄せられる。まるでカセットテープを巻き戻すように思考を遡った。

「そのことなんだけど、俺の好きな子ってのは…」
「ああっうん、心配しないで! 私、こう見えて口は固い方だから大丈夫だよ。どんと安心して相談していいよ!」
「いや、だから、」
「遠慮しなくていいよ。女の子の気持ちなら私分かるからアドバイスできると思う!」

 勉強の中でも一番得意なのは国語だった。よく教科の先生に「高槻は文章の書き方もうまいし理解も早いな」なんて褒めてくれたことがある。俺は昔から褒められたら伸びるタイプだった。だから、それを機に国語は得意科目になったのだけれど……

 確実に誤解している。それを解こうとすればするほど、さらに糸は絡んで解けなくなる。
 悪循環の連鎖に俺は歯が立たない。

「だけどさぁ、幹太くんえらいね!」

 俺が誤解を解こうと悪戦苦闘していると、話はどんどん進んでゆく。彼女の言葉に俺は、え、と呆気に取られる。

「困ってる人を見捨てられないから、それで人助けしてあげたんだね」
「……そんな大それたことなんてしてない」

 あのときの俺は、他の生徒の視線が気になっただけであってそれ以上でもそれ以下でもない。

「ううん、きっとその子たちにとって幹太くんはヒーローみたいだと思うよ」

 言葉が次々と出てきて、それを俺は吸収するので精一杯だった。

「自分の好きな場所が無くなっちゃうのってすっごく悲しいことだもん。それが大切な居場所ならなおさらね。だから幹太くんのその勇気のおかげでその子たち救われたと思うよ」

 親切な口調で、頭を撫でるように優しく言った。それはまるで物語を紡ぐような声で。

 不安と切なさが襲いかかり、後悔の渦に飲み込まれそうになる俺を栞里が掬い上げる。
 彼女の言葉全てが身体の隅々まで浸透して、俺の素直になれない心を解きほぐす。

「どうかなぁ……」

 今思い返せば国崎たちも必死だったんだろう。大切な思い出のある写真部を無くさないために。
 大切な居場所は、誰にだってある。それはもちろん俺にだって──…

「ねえ、栞里。今度この町案内してくれないかな」

 俺の言葉に、え、と声をもらしたあとキョトンとした表情を浮かべる。

「この町に来て一度も町を見て回ったことないんだ」

 ──俺は、まだこの町のこと何も知らない。

「それに栞里が好きだと言った景色も見てみたいし」

 ──少しでも、彼女に近づくために。

 母さんがこの町の海を好きだと言った。

 この町に来てよかったと思えるように。
 この町を好きになれるように。

「だめかな」

 一瞬困惑した表情を浮かべ、そうして口元に弧を描いたあと。

「うん、いいよ」

 二度と後悔することのないように、俺は今を生きたい。