「分かってもらえてよかった」
栞里は、満足そうにほころんだ。
少し前までの俺は幸せなんて諦めていた。手放していた。一度消えたものは元に戻らない。俺の幸せは取り戻すことができないと思っていた。幸せになることなんか必要ないと思っていた。
「……俺、ずっと間違ってたのかな」
悔しさが水のように胸に流れ込んでくる。
「間違ってたって何を?」
──母さんのためだと思っていたこと全てが。
「やりたいことも全部、何もかも手放してた。それに……」
「自分の幸せも?」
隠した言葉を彼女が探し当てるから、胸がどきりと音を立てる。
「…うん」
実際は、自分の罪悪感から逃げるために母さんのせいにしていただけなのかもしれない。言い訳にしていただけなのかもしれない。
俺は、吐き出したいほどの自己嫌悪に駆られる。
「また、やり直したらいいんじゃないかな」
ネガティブな俺の言葉を拾い上げると、それをプラスに変換した彼女。
「どうせやり直しなんか効かない」
「やってみなきゃ分からないよ?」
「だけどもう手遅れなところまで……」
深い穴に沈むように、自分を見失いそうになったそのとき「──ねえ幹太くん、知ってる?」栞里の声が一筋の光を照らし出す。
「人生ってね、何度でもやり直しができるんだよ。人生は一度だけなんて決まってない。何度だって失敗してもいいの。その分、挑戦だって何度だってできるんだよ。だからね、またそこから再スタートを切ればいいの!」
俺の中の〝後悔〟と〝罪悪感〟を全て拾い上げると、ひまわりのように笑った。
「…ここからやり直せるかな」
「幹太くんなら大丈夫!」
──もしかして俺、その言葉をずっと待っていたのかな。誰かに背中を押してもらいたかったのかな。
「幹太くんが幸せだと思えるその日まで、ちゃんと私が見守っててあげるよ」
胸の中に空いていた穴が何かで埋められると同時に、目の前が不思議な明るさを帯びているのを感じた。
たとえその言葉が嘘であったとしても本心ではなかったとしても、その一瞬だけでも俺は幸福感で満たされる。
「……ほんとに?」
「もちろん。約束するよ」
パンの焼き上がった匂いは、この一体にしばらく漂い続けた。幸福感と共に──。