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 学校が休みの日、昼食を食べ終えた俺は病院へ向かうためにバスへ乗った。窓から見える景色は青い海が見えた。とこまでもどこまでも広い海は、俺のあとをついて来る。

 病室のドアの引き戸を開けると、本を読んでいた母さんの視線がこちらへ向いた。「あら」俺に気づいた母さんは、ぱたんと静かに本を閉じるとテーブルへと置いた。

「幹太、今日は早かったのね」
「あ、うん。学校休みだったから」

 この町は、東京ほどおしゃれなカフェや商業施設はない。だから、休みの日に行く場所なんか限られている。当然俺は、自分の時間ではなく母さんの時間を優先する。

「あら、そうだったの。わざわざありがとうね」

 母さんが〝わざわざ〟という理由を使うのは、おそらくここまでの道のりが長いことを知っているからだろう。

「これ、ばあちゃんから果物届いたよ」

 袋をテーブルへ置いた。
 ついさっき、東京にいる母さんの母親で俺にとってはばあちゃんからりんごや梨が届いた。「あらまあ」と喜んだ母さんは「じゃありんご剥こうかしらね」と身体を少し起きあがらせようとするから、「いや、俺がするから!」と慌てて立候補をしてりんごを取り返す。

 病人なのにりんごを向こうとするなんて母さんは、やっぱりどうかしてる。

「幹太、あなたりんご剥けるの?」
「え…ああ、多分。やったことないけど」

 果物なんて剥いたことない。家庭科の授業で触ったことはあったけれど、それ以外は包丁を持ったことなんか一度もない。小さい頃、母さんがよくりんごをうさぎ型にしてくれていた記憶がある。風邪なんか引いたときはいつもそうだった。それをよく俺は嬉しそうに食べていた記憶も。あれ、結局どうやって剥くんだっけ?

「手、切らないように気をつけるのよ」

 今までは母さんがしてくれていたことを、今度は俺が母さんへ。

「ど、どうかな」
「ええ、初めてにしては上出来よ」

 五分ほどかけて剥けたりんごはなんとも歪な形をした、うさぎだった。それ以前にうさぎに見えるかどうかも怪しい。

「甘くておいしいわね」

 そう言ってゆっくり食べる。病気で食が細くなったから以前のように食べることはできない。少しずつゆっくりと時間をかけて食べる。

「ほら幹太も食べなさい」

 俺も一つもらった。しゃくっとりんごをかじる。ばあちゃんからもらったりんごはすごく甘かった。俺はあっという間に三口で食べ終わる。