小学生の頃からずっと続けていた野球を中学一年で辞めた。理由は、母さんの病気が見つかったことだ。子どもの俺にとってそれはすごくショックなものだった。母さんの病気が分かってからは好きなことをやりたい気持ちも楽しいという感情も全部捨てた。
それからは、手のつけようのない数字の問題を目の前にして、時計の針を動くのを眺めているようなそんな毎日が続いた。
「まだ決めてないんだったら野球なんてどう?」
「いや、ちょっと待て! サッカーなんてどう? 今なら即レギュラーも夢じゃないぜ!」
夕方になると惣菜が半額になる。まるでお買い得だと言うように、次から次へと部活を勧められる。俺に答える暇なんか与えられず「俺が今話してるんだろ」「邪魔するなよなっ」机の前で文句を言い合うクラスメイト。
今の俺は正直どの部活に誘われても入部するつもりはない。
「野球部に来いよ! な!」
「いーや、サッカー部だ! だよな?」
平らな水のおもてにいきなり水を投げられたように、心は波立ち騒いで落ち着かなくなった。
「──ごめん。俺、今どこの部活に誘われても入るつもりないから」
楽しげな空気をぴしゃりを一刀両断する。邪魔するなとやいのやいのと取っ組み合いをしていた二人の動きが止まり、え、と声を漏らしながらこちらへ顔を向けた。
三年経って俺の世界はがらりと一変した。楽しいも嬉しいも封印された俺の世界は、大事なものを抜き取られたような寂しさが、毎日毎日心の中に積み上がり罪悪感でいっぱいになる。
「でも、この学校に来たからには必ずどこかの部に所属することになってるけど」
必ず、とクラスメイトは言った。だが、そこに理由があれば学校側も免除してくれるだろう。無理に部活を勧めることはないはずだ。
「うん。でも俺、今は部活に入る気ないから」
〝今は〟と言ったけれど、それは永遠にやってこない。
母親の病気がもう治らないところまで進行していて絶望の淵に立たされている俺の気持ちなんか、きっとみんなには分からないだろう。
正確な余命を聞いたことはないが『自分の好きな風景を見ながら過ごすと心と身体が痛みを忘れて少しでも長く生きられる』と病院の先生は言った。〝長く生きられる〟が一体どれくらいの期間に当たるのかは見当つかないが、提案するならちゃんとした結果があるのもまた事実だろう。
ならば少しでも多くの時間を家族で過ごすために俺は部活を辞めて、好きなことも手放した。それが母さんのためになると思って。
──それが中学一年の俺にできる唯一の選択だった。