「まだ話の途中なんだから逃げるのは反則よ!」
振り向くと、鬼よりも恐ろしい声と姿で俺を睨む。が、俺には吊り上がった両目が血走って、狐のお面のような顔に見えた。
今までは喧嘩なんかしなかったし嫌なことだってさらりと受け流せた。愛想笑いだってしてきたし、クラスメイトともめることなんか一度もなかった。
「話の途中に痴話喧嘩してるのどこの誰だよ」
心のいらだちが魔女鍋のようにグツグツ煮えくり返り、冷静ではいられなくなった。
「痴話喧嘩ってなに? 誰のこと言ってるの!?」
「一旦冷静になって考えてみればいいだろ」
投げつけられるようにこちらも投げ返す。
「……なにそれ。もしかして私たちのこと言ってるの!?」
しばらくして、顔がりんごのように真っ赤になると突然拳を振り上げる。それを俺に向かって真っ直ぐ振り下ろそうとする。
「だーかーらー、ストップしろって」
だけど、またしても背後から静止がかかる。
間一髪その拳は俺の頭に届かなかった。それを悔しがって下唇を軽く噛んだ女の子は「離して亮介」とぐぐっと拳に力を込める。
「そんなに強引すぎると高槻に警戒されるだろ」
彼女をなだめるように優しい声色で言ったあと、ちらと俺を見て「…まぁ今の時点ですでに警戒されてる気もするけどな」と呆れたように笑った。
「だって高槻くんが逃げようとするから……」
「それは俺らの話が逸れたからだろ」
「それはっ、そうかもしれないけど……」
〝高槻〟と自然に俺の名前呼んでるけれど、一方的に名前を知られてるってなんか違和感あるよな。
「あのさ、名前何だっけ」
二人に尋ねると、「は?」「え?」同時に発せられた言葉は困惑したものだった。
「高槻、もしかして俺たちの名前覚えてないの?」
「悪いな。名前覚えるの苦手で」
「そうだとしても高槻がここへ来てもう一週間も過ぎてんじゃん」
「それとこれは別問題だろ」
名前覚えるのに時間とか関係ない。一週間という時間だって俺からすればゼロだ。転校生としてやって来た俺がこれから覚えなきゃいけない相手は数十人。それに対して、元々ここの生徒だった人は俺だけ覚えたらいいわけだし。どう考えても俺の方が不利だ。